保守の心得 (扶桑社新書)

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  • 扶桑社 (2014年3月1日発売)
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伊勢神宮の正式名称は「神宮「閉じる毎日、日別朝夕大御饌祭と言う神事が行われています。1400年以上途切れることがありませんでした。
比叡山延暦寺の中心には根本中堂があります。ここには「不滅の法灯」と呼ばれる灯火があります。これも1200年もの間、1度も消えたことがない。
●自民党改憲案の中身を開けてみれば、憲法案は単なる日本国憲法の焼き直しに過ぎません。現行の日本国憲法は、わが国が培ってきた2000年の歴史を断絶させ、昭和20年8月15日を新たな建国記念日にしようと言う憲法です。敗戦前の憲法を無視し、マッカーサーの落書きに過ぎない日本国憲法を改正したところで、敗戦国からぬけ出すことなど不可能です。つまり帝国憲法を元に作り直していくべきです。
●保守はもともと、フランス革命において「理性があれば何でもできる」と言う狂った革命派に対して、「ちょっと落ち着けよ」と言うスタンスから生まれたアンチテーゼでした。伝統とは何かと言うと、要するに「常識」の積み重ねです。
●ハマコー曰く「保守とは、日本を文明国として地球上に生存させること」だと主張していた。
●伝統と国益の二者択一があった場合国益を優先するのが保守の態度です。伊藤博文も、国益に耐えられない伝統は変えるべきであると、国益を取りました。
●日本の国家体制は、政治体制の上に天皇がいると言うことです。常に1番上には皇室があります。天皇が続いている限り、国体はギリギリのところで踏みとどまっていると言える。皇室と国民の絆が切れた時は、日本が日本ではなくなる瞬間だと言う訳です。
●「国家と政府は違う」政府と言うのは所詮、国家の部分集合です。国民の代表ではありますが、1部分に過ぎません。その政府が国民の愛国心を鼓舞し、やりたい放題にやっていた時期というのが、歴史の中に間違いなくあります。
●日本人が世間の空気に負けてしまうのは、この「議論する」と言うプロセスを抜くことに慣れてしまったからです。何か問題が起きたときに論ずることなく、いきなり多数決で決めてしまう。それが民主主義だと勘違いしているのです。
●インターネットの可能性として、国会で良い論争をしていたら、内容をすぐに拡散できる点があります。議論の上手な人がいたら褒める。注目すべき議員を自分で見つけ発言を追いかける。こうしたことが、実は1番身近で可能な「成熟した保守」の活動になると思います。
●明治初期、板垣退助と大隈重信による二大野党がやりたい放題。伊藤博文が匙を投げ、お前たちがやってみろと、2人の間に角が作られます。いわゆる熊いた内閣です。すると案の定内紛が激しすぎて危機に陥りました。他人の邪魔はできても、政権を担当する能力はなかったのです。これはいかんと言うことで、変な政治家が出てきても、代わりに政治が行える、試験に合格した人である公務員を、キャリア官僚として置いていくことにしたのです。
●所得倍増計画。あれは「10年で9 給料を2倍にする」と言う単純な話ではありません。当時は労働運動と革命運動の全盛期です。労働者の不満を爆発させ、政府を転覆させようとソ連が暗躍していました。そこで池田首相は「今すぐ政治活動をやめて10年間働けば月給は2倍になるのだから、みんなで真面目に働こう」と言ったのです。
●国の借金の話。固定相場制であれば、金の保有量しかお札は刷れませんから、借金は税金で返済するしかない。しかし変動相場制の場合は、政府の信用さえあれば、無限にお金が刷れます。
●憲法改正、条文は最後で構わない。まず方針を決めることが先決なのです。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 政治・政治家・軍
感想投稿日 : 2019年5月23日
読了日 : 2019年5月23日
本棚登録日 : 2014年11月26日

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