ル・コルビュジエから遠く離れて――日本の20世紀建築遺産

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  • みすず書房 (2016年11月26日発売)
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 2016年に、上野の国立西洋美術館を含むル・コルビュジエの建物群が世界遺産に登録された。日本で彼が直接手がけた建築物はこれ一件(しかも基本設計のみ)であるが、彼の弟子や孫弟子が日本の建築界に残した影響は大きい。さまざまなエピソードから彼らの足跡を追う。

 日本の近代建築の歴史を追う上で重要な出来事が目白押しであるが、直弟子の一人、前川國男が手がけた京都会館に関するエピソードが特に興味深い。
 本件は1957年のコンペにより設計者が決定されたのであるが、そのコンペの中で、前川は設計の意図を次のように説明した。
「東山一帯に囲まれた平面的な岡崎公園と、その水平的な正確を象徴するがごとき疎水の流れ、それに既存の建物、公会堂、勧業館、美術館等の中層建物の高さなどを考え合わせる時、この場所に巨大なマッスの高層建物を置く事は、公園地帯全域に対して不均衡を来すものと思われる」
 また、京都会館について前川はこうも語っている。
「終戦直後始めて京都を訪れた時の感慨を私は忘れることが出来ない。戦火を受けなかったということはこれ程スバラしい事であったかと、春の日差しを浴びながら無量の感慨を踏みしめて京の街をさまよい歩いた」
 前川は関東大震災と東京大空襲による、二度にわたる東京の焦土を目撃している。その彼の目に無傷の京都がどのように映っただろうか。
「京都という伝統的な土地柄に、文化センターといった近代的な建物を、どんな形で建築すべきか。正直いってそんなにやさしい問題ではなかった。いうまでもなく京都は「今日」を生きなければならない、然し「今日」を生きるというのはいったいどんな事なのだろうか。総じて人間が「行きる」というのはどういう事なのだろうか。京都は伝統の町という、京都は美しい古都であるという。然しこの美しい京都も伝統の町も、かつて此の町を、かくも見事に作り上げ、かくも見事に行き抜いた京都の人達の「生けるしるしある」想像的な充実した生活を
のぞいては、うつろな廃墟にすぎないだろう」
 このように前川はただならぬ思いと、それまでに得た知見と技術の粋をこの建物に捧げた。竣工した1960年には日本建築学界賞も受賞しているし、2003年には日本を代表する近代建築の一つとしてDOCOMOMO Japanによって百選にも選ばれた。
 しかし京都会館は竣工から50年、最低限のメンテナンスのみで維持され、大規模な改修などは一切行われなかった。そして1995年にはクラシック専用の京都コンサートホールが完成し、京都市交響楽団が本拠地を移す。
 ついに2011年、京都市が第一ホールを取り壊して改築するという計画を発表するのである。

 こうした有名建築物が取り壊されるとなると、どこからともなく反対の人々が沸いてくるのであるが、その主張というのは曖昧で予算の裏付けもない、単に気に入らない市長のイメージダウンに使ってやろうという政治活動的なにおいを感じることが多い。
 たしかに貴重な文化であるし、残せるものなら残したほうがいいのかもしれない。しかしメンテナンスを怠り、現代の耐震基準に満たないものを使い続けることはこんにちの常識では許されないし、前川自身が言うように「今日」は「今日を生きる人」のものである。古い建物を壊し、新しい建物を建てる、それ自体は自然な新陳代謝でもある。
 そもそも役所がこうした発表をする時点で、物事は大体決まっているのである。それでも残したいというのであれば、いささか無理な注文かもしれないが、やはり普段からもっと念入りにメンテナンスするよう主張しておくべきだし、その費用というものをしっかりと捻出しなければならなかった。
 廃線と同じで、それが決まってから騒ぐのではなく、決まる前に残すように動き出さなければならないのである。

 新しい京都会館は、2016年に「ロームシアター京都」と名を変えて生まれ変わった。次の50年(あるいは100年)を、この建物はどのように過ごすのだろうか。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 論考
感想投稿日 : 2017年2月13日
読了日 : 2017年2月13日
本棚登録日 : 2017年2月13日

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