今年の日本翻訳大賞受賞作です。
文学ラジオ空飛び猫たちさんの読書会のお題に上がり、なんとなく読めずにいたこの作品を読了できて感謝です。
思いのほか、好きな作品でした。
荒野(セルタオン)からやってきた、北東部(ノルデスチーナ)の女、マカベーア。
彼女を偏愛する作家ロドリーゴ・S・Mの独白にもとれる、不思議な語り口の小説。
ロドリーゴの独りよがりな語りから始まる前半は、本当に訳が分からなく、なんなんだ?何を言いたいの?と思いながら読んでいくと、いつの間にか私たちも、この19歳の見栄えの悪いどころか影のような女の子、マカベーアの不思議さに引き込まれてゆく。
マカベーア、
「ぼくがこれから話す女の子は、売るような体を持ってもいないし、誰も彼女を欲しがったりはしない。彼女は処女で無害で、いなくなっても誰も困りはしない。」
「通りで彼女に目を向ける人なんていなかったし、彼女は誰も手を出さない冷めたコーヒーみたいなものだった。」
書き手のロドリーゴも、マカベーアもたぶんクラリッセ自身なのだろう。
不幸すぎる彼女の人生を眉をしかめながら読みつつも、
彼女の唯一の楽しみの夜の冷たいコーヒーと、明け方に聴く「時計ラジオ」それこそが彼女の全ての知の源。。そんなものに親しみを覚えてしまう。
彼女にボーイフレンドらしき男もできたのだ。同じノルデスチーノ出身のオリンピコ。
彼とマカベーアの会話は何とも。。冗談のように噛み合わず、二人の滑稽なやり取りに、急にリアリティのある小説を見せられる。でも、それを語るのはやはりロドリーゴで…
途中から夢中になってしまう小説なのです。
読み終えると、きっと誰もが放心状態になります。そして、もう一度最初のページに戻り、ロドリーゴの独白を読み返すと、びっくりするほど彼になってる自分に気がつく…
そんな本でした。
読書会で色々と皆さんのお話しを聞いた中で、
翻訳大賞の審査員の柴田元幸さんが「わかろうとしなくていい」というようなことを仰っていたと聞いて、なんだかほっとしたものです。
他にも、映画を観たという参加者さんのお話しも興味津々でしたし、
一人称だけど三人称的という意見も印象的。
マカベーアがイノセントだという話には、私も大きく共感しました。
あとがきによると、クラリッセはウクライナ産まれのユダヤ人。ロシア内戦下のユダヤ人迫害から逃れるため、ブラジル北東部にやってきた。彼女の母親はクラリッセを産んだために産後体を悪くし、彼女が9歳の時に他界している。
#空飛び猫たち のダイチさんに教えていただいた「文藝秋号」の日本翻訳大賞記念企画 クラリッセ・リスペクトルも読みました。
この短編2作品も、星の時も、どちらも痛みを感ぜずにはいられないし、ブラジルというカトリック国にいながら、神を信じてはいなさそうな彼女の闇は、この母親へのトラウマのようなものが根底にあるんだろうなと、福嶋さんによる論考を読んで腑に落ちました。
クラリッセ自身は語らないようだけど、自分のせいで母が死んだという、子宮で繋がる何かがあるような。
福嶋さんの論考の締めが素晴らしいのです。
_具象を結びかけては抽象へとほどく反復に身を委ねることに、クラリッセを読む幸福はある。_
『星の時』のラストはまさにそんな感じでした。
フラニーとズーイが好きな人は好きなんじゃないかなと思う。
ただ、貧しさや醜さの中の美を見いだせない人にはおすすめ出来ませんが。。
- 感想投稿日 : 2023年1月27日
- 読了日 : 2022年8月20日
- 本棚登録日 : 2023年1月27日
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