「発達障害」は「発達の特性」が強く、診断基準に入ってくるものである。
つまり、発達の特性には「強弱」があるため、発達の特性は、診断基準未満でも持っている人がいる。
自閉スペクトラム症(ASD)、注意欠如・多動症(ADHD)、学習障害(LD)などの特性を「重複」して持っている人もいる。
発達「障害」ではなく発達の「特性」として捉えると、ほとんどの人が何らかの特性を若干は持っている可能性もあり、著者の言うとおり、発達の特性は「ふつう」と地続きのものであり、「障害」(少数派)と「ふつう」(多数派)の境界線はとても曖昧なものにも感じる。
「すべて免除」という考え方は、配慮ではなく排除になってしまうが、様々な発達の特性を持つ人々(もしかしたら自分も含まれるかもしれない)に対して、配慮していくことがとても大切だと思った。
人間は「やりたいこと」をやらなければ、納得できないものであり、また、健康に幸福に暮らすためには「自分のやりたいことをやる」ということに尽きる。そうすると、生産性は落ちることになるかもしれないが、「生産性は、人間の健康や幸福よりも優先されるべきものではない」と著者はいう。この部分はとても印象に残った。
また、発達の特性を「~が苦手」という機能の欠損としてとらえるのではなく、「~よりも~を優先する」という「選好性の偏り」(大多数の人とは異なる選好性)としてとらえた方が自然なのではないか、とも言っている。「ふつう」は「多数派」、「発達の特性」は「少数派」なだけで、「普通」と「発達の特性」に「優劣の差はない」という部分にも考えさせられた。
- 感想投稿日 : 2020年1月29日
- 読了日 : 2020年1月28日
- 本棚登録日 : 2020年1月27日
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