若者殺しの時代 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社 (2006年4月19日発売)
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著者は、1958年生まれのコラムニストで、週刊文春にて「ホリイのずんずん調査」を連載中とのこと。本書は、その連載をもとに、80年代から90年代にかけての若者と社会を論じたものです。

雑誌やテレビを丹念に調べ上げることから浮かび上がってくる事実と、実際に見聞きしたこととを重ね合わせながら、時代の風景や空気感をリアルに浮かび上がらせていくのが堀井氏の手法です。日常の些細な出来事の集積から、その底に流れる大きな潮流をつかみとっていく手口は見事です。一見、とるに足らないように見える情報もデータベースにして分析してみると、こんなに社会の実相を捉えることができるものになるのかと目が覚める思いがします。

本書で取り上げられるのは、「一杯のかけそば」、クリスマス、トレンディドラマ、連続テレビ小説、漫画、携帯電話、ビデオデッキ、アダルトビデオ、コンビニ、新幹線などなど。これらの変遷をデータで追いかけながら、背景にある事象や、その影響が分析されます。

1983年:クリスマスの恋愛化。ディズニーランド開園。おしん。
1989年:天皇崩御。天安門事件。宮崎勤逮捕。ベルリンの壁崩壊。
1995年:阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件。
2001年:同時多発テロ。

こうやって並べてみると、1983年以降、ほぼ5年ごとに社会を揺るがすような大事件が起きていることに気付かされます。昭和天皇が崩御し、ベルリンの壁が崩れてから、社会は静かに、でも、確実に崩壊に向かってきたのだと思います。80年代は、崩れる前の最後の馬鹿騒ぎの10年間だったのでしょう。

著者は、社会の寿命も人間の寿命と同じようなものではないかと言います。だとすると、戦後に作られた社会のシステムは一体いつまでもちこたえることができるのでしょう?既に戦後65年たっています。男性の平均寿命は79歳、女性は86歳ですから、せいぜいもってあと20年というのが妥当なところではないでしょうか。

タイトルにある「若者殺し」とは、「若者」が消費社会のターゲットとして「発見」され、消費社会のシステムに組み込まれていった過程のことを指しています。システムに飲み込まれることで、一見好きなように生きている若者が、どんどん息苦しくなり、希望がなくなっていった。つまり若者は社会によって緩慢に殺されていったわけで、その端緒が80年代にあったというのが本書の主題です。

そして、こうなった状況下で若者にできることは、システムを壊すことか、システムから逃げることだ、と著者は主張します。

なるほど。確かに、いつの時代も若者は社会を壊そうとして、文化に逃げ道を見つけてきました。では、若者達が逃げる先にある文化とは何なのか?著者の最終結論には意見が分かれるかもしれません。

本書には、確かに80年代から90年代にかけてのリアルな風景が描かれています。そして、再現されたその風景は多くの気付きを与えてくれます。滅法面白い本なので、是非、読んでみてください。

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▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

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1989年。
僕は、この年は『一杯のかけそば』の年だったとおもっている。
1989年は80年代最後の年で、昭和最後の年だった。(…)
春にいきなり消費税が取られ始め、春の終りに中国の天安門で多くの若者が殺され、美空ひばりが死に、夏に宮崎勤が逮捕され、横浜の花火大会で花火が暴発し、総理大臣が竹下から宇野になったかとおもうと海部になり、秋の終わりにベルリンの壁が崩れ、カルト教団と戦っていた坂本弁護士一家の行方がわからなくなった。
たいへんな一年だ。いろんなことがこの一年に詰まっているとおもう。

クリスマスが恋人たちのものになったのは1983年からだ。
そしてそれは同時に、若者から金をまきあげようと、日本の社会が動き出す時期でもある。「若者」というカテゴリーを社会が認め、そこに資本を投じ、その資本を回収するために「若者はこうするべきだ」という情報を流し、若い人の行動を誘導しはじめる時期なのである。若い人たちにとって、大きな曲がり角が1983年にあった。女子が先に曲がった。それを追いかけて、僕たち男子も曲がっていった。

1983年4月15日金曜日。東京ディズニーランドが開園した。(…)
1987年、ディズニーランドが聖地化しはじめていた。ポパイがクリスマス特集を始めた年だった。

連続テレビ小説のピークは「おしん」である。
1983年のドラマだ。いろんなものが1983年に始まっている。
「おしん」の平均視聴率は52%だった。三百回以上放送されるドラマの平均視聴率が52%というのは、めちゃくちゃである。

80年代に目に見えて普及して、日本人の生活を変えたものは、ビデオデッキとコンビニエンスストアだ。(…)
ビデオとコンビニは、いくつかの楽しみを個人所有のものに変え、集団で行動する原理を解体し、家族を解体し、家庭をばらしていった。そのおかげで、女性は家庭からも家族からも自由になっていったのだ。

90年代は恋愛と携帯しか売られなかった。そして恋愛と携帯からは、何も生まれなかった。

空虚なドラマは、当時トレンディドラマと呼ばれた。88年からトレンディが始まり、1990年代の空虚な時代を支えていった。それ以前のドラマは家庭が舞台だった。ホームドラマだ。

90年代の女性の処方箋が恋愛ドラマなら、男の処方箋はヘアヌードだった。身も蓋もない。でもそうだったから仕方がない。

1991年11月13日、宮沢りえのヌード写真が新聞全面広告に載った。
日本中を衝撃が走った。
トップアイドルである。掛け値なしに一番人気だったアイドルだ。その彼女がヘアヌード写真集を出したのだ。おそろしい時代になった。日本史上、空前の出来事だった。

僕たちの社会がダイナミズムをなくしていく過程と、携帯電話が普及していく時期はちょうど重なっている。

たぶんベビーブーマーたちは、1968年に破壊できなかった何かを、もう一度、やんわりと破壊しようとしているのではないか。若者をゆっくりと殺していくことで、何かに復讐しようとしてるのではないだろうか。日本と、日本がもたらしたものと、近代のシステムと、そしてできれば近代そのものを、憎んでるだけではないか。

のぞみ、という命名には、いかにも90年代らしい気分が見てとれる。それまでの「ひかり」「こだま」というのは実にわかりやすいネーミングである。一番速いのが光速、次に速いのが音速。わかりやすい。
その光速より速い列車にどういう名前をつけるか。JRも悩んだのだろう。そこで、のぞみを出してきた。内的世界である。精神論だ。宗教的とも言える。60年代の科学的気分から大きく逸脱して、内側へ向かってしまった。

日本が近代国家を始めたのが1868年。そのシステムをやめたのが1945年。これは78 年もった。大敗戦後のシステムは1945年に始めて、さてどこまで延命できるだろうか。早いと2015年。もって2030年だ。

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●[2]編集後記

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先日、娘と宮崎駿のアニメ「となりのトトロ」を観ました。久しぶりのトトロです。この映画が上映されたのは、1988年のこと。バブルまっただ中の作品です。

明るい明日を皆が信じていた時代に、昭和30年代を彷彿とさせる内容の映画です。公開当時の配給収入は5.8億円、観客動員数80万人。興行的には失敗でした。トトロと言えば、宮崎駿監督の代表作の一つですから、今では信じられないことですが、当時の前向きな時代の空気とは明らかにミスマッチだったのでしょう。はっきり言って、貧乏くさい、単なる懐古趣味の映画に思われたのだと思います。

勿論、トトロは「昔は良かった」的な単なる懐古趣味の映画ではありません。描かれたのは、自然と人との交流であり、日本人の暮しに根づいた自然な霊性がテーマであったと思います。

例えば、主人公の少女・五月がお地蔵さんの祠で雨宿りするシーンがあります。五月は、お地蔵さんに手を合わせ、ここで休ませてください、と許可をとってから雨宿りをします。こういう暮しに根づいた自然な霊性、見えないものへのリスペクトが宮崎監督の描きたいものだったのでしょう。

それは、当時47歳の宮崎監督の、バブルに踊らされる社会に対する精一杯の違和感の表明だったのだと思います。そして、バブルが弾け、目が覚めるかと思いきや、自然とのつながりも、日々の暮しの中の霊性も、むしろどんどん失われていった。そのことに対する怒りが、その後の「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」に明瞭に表れているように思えます。

ちなみに、「千と千尋の神隠し」の興行収入は304億円、観客動員数は2,350万人でした。トトロが2000年代の映画だったら、どれだけ観客動員できたのか、興味深いところです。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 社会
感想投稿日 : 2010年11月8日
読了日 : 2010年11月8日
本棚登録日 : 2010年11月8日

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