キリスト教と戦争 (中公新書 2360)

著者 :
  • 中央公論新社 (2016年1月22日発売)
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感想 : 29
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 映画『プライベート・ライアン』に、兵士たちがロザリオに口づけして神に祈りを捧げてから銃を撃つ場面があった。我々非キリスト教徒にとっては驚かされる場面である。
 「愛と平和」を説くキリスト教を信仰しながら、なぜ戦えるのか? なぜ銃で人が撃てるのか? その理由を、キリスト教の歴史と内在論理を紐解きながら解説していく本。

 印象に残った一節を引く。

《もし最初からすべてのキリスト教徒が「平和主義的」に振る舞っていたら、キリスト教徒は絶滅していたか、せいぜい小さいセクトであるにとどまっていたのではないかと思われる。後のキリスト教徒は、実際には、異教徒や他教徒を迫害し、戦争や植民地支配を行って勢力を拡大し、安全保障にも現実的に取り組むことで、生存し、仲間を増やしてきた。今現在も、世界中いたるところに二三億人ものキリスト教徒がいるということが、少なくとも主流の教派は、決して純粋な非暴力主義でも完全な平和主義でもなかった証拠であろう。キリスト教は真理であるから世界に広まったのだ、などと思い込んでいるとしたら、それはナイーブというよりむしろ傲慢である。》

《二一世紀現在でも、絶対平和主義と正戦論との間ではさまざまな議論がなされている。キリスト教信仰に基づいた絶対平和主義者の声も、決して小さいわけではない。しかし、キリスト教主流派の歴史においては、やはり条件付きで戦争を肯定するのが基本的なスタイルとして引き継がれてきたのである。そうした思想は、五世紀にはすでに明らかな形で現れ、一三世紀以降はある種の権威・伝統さえ有するようになって現在にいたっているというのが、端的な事実なのである。》

 私にとっては目からウロコが落ちまくる内容だった。キリスト教に対する認識が変わる良書。
 仏教の視点から「宗教と平和」の問題を考察した松岡幹夫氏の『平和をつくる宗教』(これは名著)と、併読するとよいと思う。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 宗教
感想投稿日 : 2018年10月2日
読了日 : 2016年8月3日
本棚登録日 : 2018年10月2日

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