同タイトルのテレビ番組を元にした本。難解さで知られる大著『資本論』を、一週間(放送は全4回/100分)で読んでしまおうという番組だったそうだ。ただし、本文は放送原稿から大幅に書き換えられているとのこと。
各章の章末に著者と識者(森永卓郎、湯浅誠、浜矩子、田中直毅)との『資本論』をめぐる対談が収められている。この部分はほぼ放送内容そのままであるようだ。
対談は、“『資本論』の現代的意義”ということが通しテーマとなっている。各対談から浮かび上がるその答えが四者四様であるのが興味深い。
恥ずかしながら私は『資本論』を通読したことがないので、「大枠くらい知っておかないとな」ってことで読んでみたもの。
入門書である本書で読んでさえ、やっぱりかなり難解。マルクス経済学者の人たちって、こんな難しいものに生涯をかけているのだなあ。
本書は逐条的な解説本ではなく、『資本論』の肝の部分にのみグイッと寄る形で作られている。
たとえば、全4中の第3章は「恐慌は資本主義にとって必然か?」で、『資本論』の中の恐慌をめぐる論考のみを抽出して解説している。
ともあれ、一読して『資本論』の大枠が理解できたような気分(笑)にはなった。
各章の前半では、『資本論』に関する一般的解釈が解説される。対して後半では、「裏読み」と銘打って、章テーマについての一重立ち入った解釈が開陳されている。
いちばん面白かったのは、第1章「資本主義社会の謎」の「裏読み」部分。そこでは、『資本論』の深層にある宗教性・呪術性(!)が論じられている。
《どんな商品が貨幣になってもいいのに、貨幣になれる商品はあらかじめ金(きん)と決まっていた。
(中略)
なぜなら貨幣になれるものは、神々しさ、呪術性が必要だからです。最初から金にしか可能性はないとマルクスはいうのです。その理由は、金が等質であり、分割可能であり、劣化せず、もち運びが便利で、しかも稀少で膨大な労働が必要だからではありません。最初からその商品が品格において神々しいからである。
(中略)
資本主義社会は中世の魔術を脱魔術化し、それを再度魔術化することで、資本の謎を呪術のような世界にしてしまったわけです。》
かつて、共産主義を宗教の一形態としてとらえ、キリスト教との関係から論じたのは歴史家アーノルド・トインビーであった。『資本論』も、思いのほか宗教的な書物であるようだ。
- 感想投稿日 : 2018年11月12日
- 読了日 : 2011年2月9日
- 本棚登録日 : 2018年11月12日
みんなの感想をみる