『<自分らしさ>て何だろう?』(著:榎本博明)
付箋部分を抜粋します
・自分っていうのは、最も身近な存在であるはずなのに、その姿を捕まえようとすると、手の中をスルリとすり抜けていく(p8)
・僕たちは社会的比較によって自分の特徴を知ることができるのだ。人と比べてもしようがない、人との比較なんかにこだわる
必要はない、自分らしくあればいい、などと言われることがある。でも、自分が劣ることがあっても落ち込まないようにすることが
大事なのであって、人と比べること自体が悪いわけではない(p30)
・僕は、自己分析テストや職業適性テストを作ってきた側の人間だからよくわかるのだが、その類のテストをいくら受けても
自己分析が深まることはない。それは、ダイエットしようとして何度も体重計に乗るようなものだ。大事なのは、測定する
ことではなく行動することだ。行動することで測定値は変わってくる(p41)
・何でもそうだが、やってみて初めてわかることがある。逆に言えば、いろいろやってみないことには、自分というのはわからない
ことだらけなのだ(p42)
・鏡としての他者をもつこと
社会学者クーリーは、自己というのは社会的なかかわりによって支えられており、それは他者の目に映ったものだから
「鏡映自己」と呼ぶことができるという。・・・中略・・・他者の反応によって、自分の人柄や能力がどのように評価
されているかがわかり、自分の態度や発言が適切だったかどうかを知ることができる(p47)
・周囲からどんな視線を投げかけられているか。それによって僕たちの行動は大いに縛られていることがわかる(p57)
・自分の中に息づいているだれかのために頑張るのだ。もちろん自分のためでもあるのだが、自分だけのためではない(p69)
・日本文化のもとで自己形成をした僕たちの自分というのは、個としてあるのではなく、人とのつながりの中にある。
かかわる相手との間にある(p75)
・状況に応じて新たな価値観や仕事に柔軟に自分を適応させていく。しかも、いい加減とか中途半端というのではなく、それぞれの
時点では自分が傾倒する役割に没頭し、全力で立ち向かう。ただし、そこに自己のアイデンティティを限定せずに、別の可能性にも
自己を開いておく。気になることには目を向ける気持ちの余裕をもつ(p104)
・今の時代に求められるのは、個人をひとつの道に封じ込めるような固いアイデンティティではなく、さまざまな可能性に開かれており、
試行錯誤や方向転換を続けても壊れないような、いわば柔らかいアイデンティティをもつことなのではないだろうか(p108)
・人生の転機ということがよく言われるが、それは自己物語が破綻し、機能不全に陥ることを指している(p137)
・青年期や中年期が危機となりやすいのも、それまでの生き方を再点検し、ときに大きくな方向転換をしていく必要に迫られる、
つまり自己物語の大幅な改訂が求められるからだ。そのような意味で、人生の危機とは、現実の出来事そのものの危機というよりも
そうした出来事を意味づける自己物語の危機ということができる(p140)
・人が悩むとときだれかに話したくなる、つまり聞き手を必要とするのも、自分の抱える経験を再評価したいから、それによって
行き詰っている自己物語の書き換えをしたいからといえる(p150)
・クーリーが自己というのは人の目に映ったものという意味で鏡映自己だと言ったように、自分らしさに気づくためには鏡となるような
他者が必要なのだ(p154)
・新たな自分を見てみたいと思うなら、習慣化したかかわりの世界から思い切って飛び出してみることだ(p163)
- 感想投稿日 : 2020年11月3日
- 読了日 : 2020年11月3日
- 本棚登録日 : 2020年11月3日
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