カラー版 地図と愉しむ東京歴史散歩 (中公新書)

著者 :
  • 中央公論新社 (2011年9月22日発売)
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本棚登録 : 400
感想 : 43
4

 新旧の地図を見比べながら、「何の案内板もなく、忘れさられたようにたたずむモノのもつ輝きや、一見何の変哲もない街からにじみ出る魅力」(p.i)を紹介したもの。カラーで地図や写真が載っている。
 おれは最近でも結構JRの「駅からハイキング」というイベントに参加したり、大学生の時からウォーキングコースが載っているガイドブックを見ながらあちこち歩いたり、コロナの時はいろんな区を一周して歩いたり、元旦に山手線一周したり、とにかく歩くのが好きで、それなりにあちこち歩いた。けれどだいたい何らかのメジャーな「みどころ」があって、さすがに上京して20年になった今となっては、特に駅ハイなんかは、またこのコースか、みたいな感じになって、あんまりワクワクしなくなったというのも事実。なので自由に何かマニアックな面白い場所に歩いて行くことに興味があるので、そんなおれには思ったよりも面白い本だった。
 気になった部分のメモ。まず「公園」という言葉は明治6年のことらしく、それまで「遊園」という言葉はあっても「公園」はなかった(p.20)らしい。そして当時は「現代人がイメージする都市公園ではなく、芝生の園地のなかに伽藍が点在している奈良公園のような雰囲気」(p.19)ということで、やがては「昭和二十年三月十日の東京大空襲以降、東京の公園や空き地や寺の境内は戦災で死亡した市民の仮火葬場となった。その数七一ヵ所、埋葬遺体は七万八六一人にのぼった。上野公園では、園内北東隅(現忍岡中学校跡地)が仮埋葬場所となっている。」(p.27)って、じゃあ今も遺体が公園や学校の下に埋まっているということなんだろうか。あと多磨霊園の近くに住んでいたことがあるが、その多磨霊園も、戦時中「霊園南部の三・四地区には三式戦闘機『飛燕』が秘匿された。翼があたるために道路沿いの墓石は倒されていた。そして兵士たちは、暇を見つけては、霊園に生えている赤松から燃料用の松根油を採取していた。ただ、そうした活動は上空からでも識別できたにちがいない。多磨霊園もアメリカ軍艦載機の機銃掃射を何度か受けている。」(p.48)という、そんな歴史があったことが意外。あとは、スパイのゾルゲの墓があるなんて知らなかった。そんなスパイで処刑された人の墓なんて作るものなのかなあ?人口増加とともに墓地も飽和状態になって「東京は死者だらけの都」(p.3)ということだけど、世界の「都」も同じ事情はどうなってるんだろうか。この本で一番印象に残っているのは、「玉川上水と淀橋浄水場」の話。というのも、今住んでいる場所が「水道道路」の近くで、そもそもなんで水道道路なんだろうとか、特に幡ヶ谷付近は水道道路に向ってそれなりに急な坂になっているところもあって、そうなっている理由、経緯が書いてあったので納得。京王線で笹塚~代田橋で見える変な?施設も「和泉給水所」という、「玉川上水の旧水路と新水路の分岐点に設けられた」(p.56)もの、ということが分かった。同じページに「芝給水所」の写真もあり、この門は淀橋浄水場から移設されたもの、ということらしいが、見たことなかったなあ。行ってみたい。そもそも「六号通り商店街」とか「十号通り」とか、その数字の意味も分かった。淀橋浄水場から数えた橋の数、ということで。橋を架けるのとは逆に、低地部分ではトンネルを掘って上水道の下をくぐらせる、ということでそういうトンネルが今でも2つ残っているということだから(本町隧道と本村隧道p.58)、ちょっと通ってみたいなあ。家の近くにあるのに行ったことなかった。東京の東の方は、あまりなじみがないのだけど、何かの本で旧中川が中川で…、みたいなややこしい歴史?を知り、この本でも荒川放水路に関して色々経緯が書いてあるが、読み終わって一か月以上経った今となっては全然覚えていない。けど「昭和初期には荒川放水路と旧中川との間に小名木川閘門や小松川閘門が整備されており、両河川の間を船舶で行き来することが可能だった。閘門とは、水位の異なる下線や運河などの水路の間で船を往来させるための設備である。世界的にはパナマ運河が有名だが(略)」(p.89)ということで、テレビで見たような「閘門」というのが日本にもあった、というのが驚き。小名木川閘門の写真も載っているので、ここも行ってみたいなあ。それから国立近代美術館工芸館って行ったことはないけどなんであんな立派な建物なのか、と思っていたら「近衛第一師団司令部」だったらしい。北区中央図書館(p.121)の写真があるが、全く図書館に見えないこの建物も軍用地に合った赤煉瓦倉庫、ということだそう。p.142の「播磨坂」の桜の写真はすごい綺麗だが、「文京区小石川にある四〇〇メートルほどの道路は、播磨坂として知られるが、ここは環状三号線の一部である。不思議な公園道路となっているが、それはここだけ復興都市計画どおりの工事が施工されたからなのだ。」(p.141)ということで、こういう「計画や建設途中で中断した路線」を「未成線」(p.145)と鉄道ではいうらしいが、それの道路版ということで、首都高にもこういうのがあって、「新富町ランプの先には、築地川跡沿いに未利用のトンネルが放置され、公園や駐車場になっている」(同)場所が、中央区築地にあるらしい。「この遊休地が道路となり、首都高速道路晴海線の晴海と新富町が結ばれる日が仮にやって来るとすれば、平成三二年(二〇二〇)の東京オリンピック招致が実現し、晴海にメインスタジアムが建設されるときだろう。」(同)とあるが、残念ながら実現しなかった。あとは、「首都高速道路羽田線の一部として平成二年に開通したにもかかわらず、わずか八年で供用中止にいたった羽田可動橋も不思議な存在である。供用中止後は、海老取川を通る船舶のため、二四時間開放した状態なのにもかかわらず、今も地図には、なぜか羽田可動橋がつながった状態で記載されている。これも一種の地図のウソである。東京モノレールの昭和島駅から三〇分ほど歩かなければならないが、一見の価値はある。羽田可動橋はまちがいなく東京一の無用の長物である。その無用ぶりが愛らしい。」(p.146)という、これは見ずにはいられない。この本の中で一番見たいもの。ここにチラッと書いてある「地図のウソ」も、この感想では触れられなかったが、面白い話だった。
 ということで、ところどころ原文?の資料のところや固有名詞が並ぶところは読みにくいし、そもそも東京を知らなければあまり読んでも面白いものなのかどうかは分からないが、おれみたいな買い物するでもなくただ歩き回るのが好き、という人には面白かった。あと「ブラタモリ」好きな人とか?(23/03)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 新書
感想投稿日 : 2023年4月16日
読了日 : 2023年4月16日
本棚登録日 : 2023年4月16日

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