真理は現実のただ中にあり: 講話録

著者 :
  • 致知出版社 (2000年8月1日発売)
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感想 : 8

”森信三さんの講演録。親として、リーダーとして、次の時代へとバトンをつなぐ一人の人間として、日常の行動と心がけを教えてくれる一冊。第3回人間塾の課題本として出合えたことに感謝!

・人生二度なし
・真理は現実のただ中にあり
 (『二宮翁夜話』の「活眼をひらいて天地不書の経文を読め」から)
・知愚一如
・生命の全開放

<読書メモ>
◎昭和42年2月4日 兵庫県園田東中学校での講演(志を立てて生きる ?立志式の日に?)より
・人生という一番大事なマラソン競走、やり直しのきかない競争で、人生の終着点をしっかりつかんで生きている人は、きわめて、きわめて少ないんだな。(p.31)
・これほどよくわかっていながら、どうして自分の生き方が、このようにならんのかな。わかっていながら、それが自分の生き方と結びついていないので、そのために中学を出て就職をする人を軽蔑なんかするんですよ。(p.35)
 #「三人の男兄弟のうちで、誰がそのあわれな妹を引きとるか」の答えとして。
・真の幸福は、人を幸せにすることによってのみ得られるんです。(p.39)
・やりぬく人間、意志強固で、いったん決心したらやりぬく極秘伝を、いまここで、諸君らのために公開するんですぞ。(p.46)
 #腰骨を立てる、を模範を見せながら…。
・さらにもう一歩うわ手はね。この水を打ったような静けさの味を、しっかりと噛みしめて、一人静かに楽しめるような人間だね。これは最高だ。皆さんくらいの年ごろとしては、ここまで行けたら最高だな。(p.50)

◎昭和47年11月29日 富士市立吉原第二中学校での講演(全力をあげて生きる?悔いのない中学生活を送るために?)より
・学科として一応やるべきことをやったら、人間としてほかにやらねばならないことをやるのだ。
 一例をいうと、朝、人より二十分早くきて、自分の教室の机をキチンとそろえておく。誰も見ておらんのに毎朝それをやるんだ。(略)世の中でこういう生き方をつらぬいたら、周囲の人々に見えない深い感動の波紋を描くにちがいない。(p.62)
・その日の予定は、たとえ零時を過ぎても、やりぬくようでなくては、一生生きたって、大した人間にはなれっこない。(p.65)

◎昭和30年4月 神戸大学入学生オリエンテーション(人生を生きる態度 ?大学生のきみたちへ?)より
・真理の探究 大学でしなければならない二つの任務
 その一つは将来諸君が、それによって世に立つところの専門的知識の概要を身につけることであり、いま一つは、人間としてこの人生をいかに生くべきかという根本問題について、その端緒をつかむか、少なくともその方向を決定することであろう。(p.75)
・自己の「生きんとする道」を発見するには、必ずしもそうした特定の教養の必要はないといってよい。そこにはただ自己と社会とに対して、どこまでも真摯誠実であることが要求せられるののみである。(p.77)
・人間の内的生命の強靭さの程度は、一応その人がどれほど読書欲を持っているか否かによって測ることができるということである。(p.82)
・新しい書物選択の基準を掲げてみたいと思う。それは「自分にとって感動を与える書物だけを読め!! しからざるものは、それがいかに有名であろうとも読むな!!」ということである。(p.84)
・どんな書物でもよい、とにかく現在の自分にとってぎりぎり読みたい書物であり、しかもそれを感動をもって読み得るなら、たとえその書物が有名であろうがなかろうが、そんなことには頓着しないで、全精根を傾けて、一気に読了するがよい。(p.84-85)
・だからもしエロ本が読みたい時にはエロ本を読むほかあるまい。その時は全生命力をあげて徹してエロ本を読むのである(一同笑)。(p.89)
 #うん、こういう発言ができるところが人間臭くていいなぁ。
・精読多読も私には一向に壁というべきものはない。すなわち軽いものは一夜に読み飛ばし、どっしりしたものは、一週間、二週間とかかることも少なくない。しかもその間感動の持続がこれをつらぬくのでなければ身にはつかない。真摯に人生を生きんとする者にとっては、一冊一冊の読破、読了が、まるで一人ずつ敵を斬り伏せてゆくような真剣勝負である。(p.91)
・思索をしようとする人は、そうした時々に浮かぶ自分の「思索の芽」──平たくいえば思いつき──をいちいち克明にノートしておかねばならぬということである。(p.93)
・そろわん生徒のは、教師が黙って直しておくんです。そして全部がそろいだしたら時々ほめるだけでよいのですが、そこまで軌道に乗せるには、立派なのから三、四人いつもほめてやるんです。(p.109)
・「学級だより」を発行する(p.120)
 「学級だより」の分量は半紙一枚がよい。そしてそれに自分の教育方針とか、生徒の作文とか、その他いろいろな記事を載せるんです。そして父兄にも、来週の予定などを知らせるとたいへん喜ばれます。こうして続けていきますと、やがて父兄から絶対の信頼を得るようになります。
・五年くらいすると、相当な分量になりますから、その間ボーナスの一割か一割五分ほどを別口扱いとして貯めていって、五年くらいたったらこれまで出してきた「学級だより」をまとめて、一冊の本にするがよいでしょう。(略)「学級だより」を出す以外にも教育日誌をつけるがよいですよ。つまり、教育中心の日記をつけてゆくんです。そして他日それをまとめて出版するんですね。(p.123)
 #JKL、MailSecニュース(課題)をもとに出版を。
★自分の心にある古いものを空けて心をからっぽにすることを「謙虚」というんです。自分がこれまで持っていたものを捨てて、無にしてしまうんです。それは人間は謙虚にならなければ、真理は学べないからです。(p.125)
・読書で大事なことは選択ということです。そしてその秘訣は、自分が読みたくて読みたくてたまらない本ばかり選べばよいわけです。(略)ところがその場合大事なことは、そういう本を選ぶ「眼力」を養うということで、それには最低十年くらいはかかるんです。(略)それまでの間は、先輩で自分の信頼している人からすすめられた本を読んで「眼力」を養うんです。(p.127)
★しつけの根本原則 三か条(p.130)
 第一 朝必ず親にあいさつをする子にすること。
 第二 親に呼ばれたら、必ず「はい」といって、「なあに」といわん子にすること。
 第三 履物をぬいだらそろえ、席を立ったら必ずいすを入れて、出しっぱなしやぬぎっぱなしにしない子に育てること。
・道徳教育といっても、根本は結局「我いかに生くべきか」というこの根本問題に取り組んで、そこから滴り落ちるしずくが、子どもたちの心にしみ込んでいって、はじめて生命の種子となるわけです。(p.139)
・しつけとは、社会的なきまりに従ってわが身を動かすということです。つまり身体的な問題であって、心の持ち方ではないのです。そしてとにかく社会のきまりに従ってやっていると、心持ちの方があとからついてくるのです。(p.143)
・ただ口で言っただけでは忘れますので、巻物に書いて与えたのです。「神速応答」とですね。(p.148-149)
 #ハイと返事、をお子さんへ伝えた方法
・大事なことは、子どもがそれについて守らんからといって小言はいわんようにということです。しかし守った場合は必ずほめることです。(p.152)
★「子どものしつけはまず親のしつけから──」で、非はこっちにもあることを、まず親御さんご自身がご承知になることでしょう。(略)
 わが子にして欲しいことをまず親たる自分からはじめるのです。(p.156)
・親御さんとして参観日に家へ帰ってから一番大事な心得は、よし心ではほめたくなくても、義理にも一つか二つはわが子をほめてやるということです。そうすると子どもは「かあちゃん今日は参観日よ、ぜひきてほしいわ」ということになる。(p.167)
・親というものは、そういうところに気がつかんといけぬというわけです。つまり子どもの心に見通しがきかんといかん。察しがつかんようではいかん──というわけです。(p.173)
・人間関係における頭の切り替え、すなわち真理に対しては、身分も肩書きも金もいっさいの特権も、それをひん曲げたり、ごまかしたりするわけにはいかんものだということを、われわれ大人が自分の頭を根本的に切り替えんことには、親子、特に年ごろの息子と父親との考え方のひらきは、だんだんひどくなるばかりだといってよいでしょう。(p.189)
★すべて力のあるものが、相手を教育するために、怒りたい時にも、怒らずにおくだけの、がまんというものができるようでないといけない。(p.197)
 #親だけでなく、上司も同じ。
・「ああ、わが親ながら及びがたい──」(p.200)
・封建的な奴隷道徳だったら、身分の下のものから先にいうわけですが、民主道徳だったら、もののわかる人の方が先にやる。(p.204)
★地下水的真人(p.206)
 本当にえらい人というのは、そういうところにはいなくて、地方に埋もれて、自分の名前は生涯、活字などにはならなくても、平生接している人々から陰でほめられたり感心されたりしているような人々です。(p.206)
・多少でも家庭の空気が変わりだされた方は、一つ私あてにお知らせがいただきたいのです。では私の住所を次に書きますから、変わりだしたらはがきをください。簡単であっても必ずご返事を差し上げますから──。(p.210)
 #おー、この信頼感はすごい!
・教育の真の原点は、教師自身が「この二度とない人生をどう生きるか」という人生に対する根本態度の確立だと思うのです。(p.217)
・人間の生き方としては、目標ははじめから最高をねらずに、一ケタ下ったあたりをねらうというより、一ケタ下のところで一応満足する。そしていっさい不平をいわずに、全力を傾けて全面充実を期する。(p.220-221)
 #全力を傾けて、全面充実を!
・救いと悟りの関係について一言すれば、自分が救われているということを知るのが悟りです。そして「救われている」とは、自己が全的に肯定されているということです。(p.228)
・『二宮翁夜話』
 この書の開巻劈頭に「夫れ我が教えは書籍を尊ばず、故に天地を以て経文とす」云々とありますが…(p.246)
・三十歳代に入るや私は、「人生二度なし」という真理に開眼せられたのでありまして、…(p.273)
・「最初から独力で現実そのものと取り組むだけでは、よほどの卓抜な人でも、現実そのものの中に、生きて作用している無量の真理を洞察し徹見することは容易にできかねるので、すぐれた先人の書き残された書物は、そうした際にはたいへん有力な手引きとなり、媒介となる」(p.276)
・道元禅師が「只管打坐」と申されましたが、私の場合は「只管挨拶」でありまして…(p.288)


<きっかけ>
 3月の小倉広「人間塾」の課題本。”

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2019年8月15日
読了日 : 2012年3月24日
本棚登録日 : 2019年8月15日

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