暗黙知の次元 (ちくま学芸文庫 ホ 10-1)

  • 筑摩書房 (2003年12月10日発売)
3.54
  • (47)
  • (59)
  • (112)
  • (14)
  • (5)
本棚登録 : 1363
感想 : 86
3

人の顔全体は覚えているが、目や鼻などの各部位だけを見させられても、それが誰かわからない。しかし、その目や鼻が、その人の部位だということは(自覚できないにも関わらず)知っている。
もし本当にその部位が誰のものか知らないのなら、それらの部位を組み合わせた顔全体を見ても、誰の顔か分かるはずがないからだ。
この奇妙な状態を表したのが暗黙知だ。

暗黙知は、言語化が困難で、場合によっては「知覚していることを知覚していない」ことすらある(本書ではそれを実証する実験例がいくつか掲載されている)。だからといって「知覚していないと思っていることは、知覚していないことと同一ではない」というのがポイントだろう。

本書によると、暗黙知は、高次元の対象(顔全体)を知覚することによって「はじめて生じる」、1つ低次元の対象(目や鼻)の知覚のことである。
「はじめて生じる」というところがポイントで、顔全体を見ようとしないと、暗黙知は生じない。
もちろん目や鼻をそれぞれ「非暗黙知的」に知覚することはできるけれど、それは「顔」という全体性についての「意味の破壊」(≒ゲシュタルト崩壊)を引き起こし、顔全体の知覚を不可能にする。

こういった暗黙知を解説しているのが第1部、暗黙知の働きを「創発」として論じているのが第2部、暗黙知から人間の探求活動そのものを論じているのが第3部だが、2部以降は難解。けれど、1部だけでも十分に読む価値はある。

個人的には、個別単体は、組み合わせることにより「総和」以上のものを生み出すのだろう、という気がしているし、実際にそういったことは社会で多く起こっている。
数学における「1+1=2」という最も根本的な理論が、生命や社会においても成り立つのかは疑問だ(本書でも、非生物と生物の問題がとりあげられている)。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 思想・哲学・知
感想投稿日 : 2013年3月31日
読了日 : 2013年3月31日
本棚登録日 : 2013年3月31日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする