反省させると犯罪者になります (新潮新書 520)

著者 :
  • 新潮社 (2013年5月17日発売)
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本棚登録 : 1981
感想 : 233
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最近いろんな人が紹介しているのを目にするようになった。タイトルが刺激的で、「おや?」と思う人が増えたのだろうか。
私は以前から、被害者側の心情だけがクローズアップされる報道に違和感を持っていた。確かに被害者側の心情は考慮されるべきだが、第三者までが被害者サイドに立ったような発言をするのは、どうなんだろうと思っていたのだ。特に、犯人が逮捕されたときなどに「まだ反省の言葉はない」とか、「反省の色が見えない」などという非難の言葉がすぐに出てくる風潮には疑問を持っていた。
人はそんなにすぐに反省なんかしないものだ。それは自分を振り返ってみてみれば一目瞭然のことだと思うのだが、なぜか他人にはすぐさま反省を要求してしまうのだ。
そもそも「反省」とは他人が強制してさせるものではない。自分の中から自然と沸き上がってくる感情でないと意味が無いのだ。そしてそのためには、まず自分の感情と正面から向き合う必要がある。
いじめ問題でもそうだが、「いじめは悪いことです。反省しなさい」と要求することがどれだけ無意味なことか、真剣に考えなくてはいけない。
いじめの加害者は、自分の行為を正当化しているか、あるいはいじめの自覚を持っていないのが普通なのだから。
被害者に対して謝罪の言葉を述べるとか、「反省文」なるものをどれだけ書かされようとも、それで真の反省に至ることはないと思う。
人は誰だって、自分のことを理解してもらいたいと思っている。それはいじめの加害者だろうと、犯罪者だろうと同じである。しかし、その気持ちの探求をおざなりにしたまま、上っ面の謝罪や反省文を強制されているうちは、いじめも犯罪も減らないだろうと思う。

しかし、たいていは、上っ面の謝罪や反省をまず要求する。そうせずにはいられなくなるのだ。そして、偽りの謝罪や反省を手に入れて「こんなものは本物じゃない」とさらに糾弾する。
本当の謝罪や反省や後悔を得たいなら、遠回りなようでも加害者の心情をクリアにするところから始めなくてはならない。

今まで漠然と思っていたことが実証とともに言語化されていて、我が意を得たりの1冊であった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 新刊
感想投稿日 : 2013年6月22日
読了日 : -
本棚登録日 : 2013年6月22日

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