被差別部落に生まれて 石川一雄が語る狭山事件

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  • 岩波書店 (2023年5月17日発売)
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被差別部落に生まれて
~石川一雄が語る狭山事件

著者:黒川みどり(静岡大学教授)
発行:2023年5月17日
岩波書店

冤罪事件といえば、袴田事件や帝銀事件が思い浮かぶが、やはりなんと言っても狭山事件(狭山差別裁判)。ほとんど読み書きができない人が、漢字のたくさん使われた脅迫状を書き、被差別部落の小さな自宅を大勢の捜査員が2回も家宅捜索したが何も出ず、3回目で見つかりやすい鴨居の上から被害者の万年筆だとするものが出てきたが、石川さんの指紋が出てこないことはもちろん、入っているインクの種類が被害者の万年筆ものとは別ものだったのに、それでも証拠採用。誰が見たって、子供にだって分かる冤罪。これがまかり通っていて、事件から60年もたっているのにまだ再審が決定していない。

最大の問題点のひとつである、検察庁による証拠の不開示。国連・自由権規約委員会も、1998年に審査を行って日本政府に対し公正な裁判のための証拠開示勧告を行っているが、政府と裁判所は無視し続けている。

言うまでもなく差別が絡む問題。狭山事件が他の冤罪と違うのは、この点にある。他の冤罪は警察や検察が思い込みや自らの描いたストーリー通りに持っていこうという強引さが作り上げているケースが多い。彼らは嫌疑者を真犯人だと思い込んでいる。ところが、本書を読んでも分かるが、狭山事件は警察・検察が、石川氏がやってないことを分かっていながら犯人にしている。よく言われる、吉展ちゃん誘拐殺人事件での失態を隠すためである。犠牲になったのは、被差別部落出身者。

日本がいかに法治〝後進国〟であり、民主主義度が低い国家であるかを、国際的にも晒してしまい、先進国が日本を貶めることにつながった冤罪事件でもあると言わざるを得ない。

事件の詳細や冤罪事件であることの証明は、野間宏はじめ多くの作家、ジャーナリスト、学者、法律家などがすぐれた著作で行っているし、解放新聞で報じられているだけでも十分に解明されているものだろう。本書は、そうした冤罪を証明していく本ではなく、現在、84歳の石川一雄さんに直接話を聞き、幼い頃から現在に至るまでの彼の半生を紹介する内容である。そこには、不当な取り調べの様子や石川氏の心のうちも含まれ、その面で権力犯罪を明かしていく目的も含まれていよう。石川さんの人となりが現れている箇所も多く、興味深く、とてもいい本だった。

石川さんへの聞き取りは、コロナ禍などの関係もあって、2022年夏からだったという。それなのに今年の5月に出版にこぎ着けるとは、著者のパワーや情熱は並大抵ではない。これにも感動。労作を読めて幸せだった。

石川さんは、埼玉県狭山市の狭山駅(旧入間駅)近くの被差別部落に生まれた。父母は再婚同志で、連れ子を含めて8人きょうだい(加えて幼児で死亡した2人)。とても貧しく、サツマイモやジャガイモばかりで、弁当はムラの友達と同じく持っていけず、昼は神社で遊んでいた。父親は長男ばかりを可愛がり、どこから手に入れてきたか分からないが兄は米飯だった。

小作人をしていた父親を手伝って、草むしりをする毎日。学校へは雨の日にしか行けなかったが、長靴も傘もないので家にいた。通学は、冬以外は裸足だった。やがて薪拾いの仕事に行かされるなど、僅かなお金を稼ぎに外に出された。そして、10歳で年季奉公に出され、帰ってきたのは18歳だった。もちろん、お金は前金で父親が全部持っていっていた。

帰ってきてからは、読み書きが出来ないために職探しに苦労したり、就職しても辞めさせられたりと難儀はしたが、お金ももらえてそれなりに人生を楽しんでいたが、婚約者の親に結婚を反対されたり、その婚約者が死んだり、悲しい経験もした。

それなりに生活を楽しんでいた石川さんは、24歳の時(1963年)、近くで起きた殺人事件(高校1年の女子生徒が下校後に行方不明となり、その日に身代金を要求する脅迫状が届き、後日、山狩りで遺体発見)に絡み、別件逮捕された。別件はいずれも微罪で、普通なら問題に問われないようなことばかり。いったん釈放されるも、その場で再び別件逮捕。拷問のような取り調べが続いた。今のだけで10年だ、殺しを入れると20年だが、素直に吐けば10年で出してやるから、と言われ、さらに一家を支えていた兄を逮捕するぞと脅され、10年で出られることを信じて嘘の自白をしてしまった。

翌年、1964年に一審でまさかの死刑判決。騙されていたことに気づく。二審からは否認に転じるも、1974年に無期懲役判決、1977年に最高裁で無期確定。なお、それ以降は、
・1977年、高裁へ第1次再審請求
・1985年、最高裁で再審棄却
・1986年、第2次再審請求
・1994年、石川氏仮出獄
・2005年、最高裁で再審棄却
・2006年、第3次再審請求
~現在に至る

石川さんは、仮出獄して29年になるが、「見えない手錠」がかかっている限り、仏壇に手を合わせられないと言っている。1995年に現在の妻と出会い、翌年に結婚。

石川さんは、自分が生まれた地域が被差別部落で、自らが被差別部落出身者だと知ったのは、なんと1971年ごろのこと。一審判決で騙されたことを知り、文字を学んで読み書きを獲得し、差し入れられた本を読んで初めて知ったという。無知がいけなかった、それにつけ込まれた、と、勉強させてくれなかった父親を恨んだ。

石川さんは無期で15年ほどした時、転勤してきた所長から仮出獄の話があったが、仮出獄はしないと言った。監獄法を知っていて、無期なので悪いことをしないと約束し、署名しなければいけないが、自分は悪いことをしていないのでそんな署名はできないと拒否した。
2年ほどして、1994年12月21日、朝の4時か5時に所長に呼び出され、「石川君、今日は仮出獄だ」と言われた。自分は悪いことをしていないので誓えないと言うと、所長は、そんなことは言わなくていいと言い、「今日はもう、すぐ出てくれ。このまま出てくれ」と言った。それまでは「石川」や「9番」としか呼ばれなかったが、その日は「石川君」だった。
刑務官、所長は、彼が冤罪であることがよく分かっていたものと想像できる。

****************

被差別部落の子供たちの年季奉公を斡旋していたのは、同じ部落にある植木屋の〝えいちゃん〟だった。賃金は前払いで父親に手渡されていた。

狭山事件(1963年5月)に先立ち、同じ年の3月に村越吉展ちゃん誘拐事件が起き、犯人に接触しながら取り逃し、吉展ちゃんは死亡。警察は世論の非難を浴びていた。

狭山事件が起きると、マスコミは石川氏の自宅がある地域は「犯罪の温床」と言わんばかりの報道をする。埼玉新聞は「夜這いの習慣」も残っているとまで書いた。東京新聞も「犯罪の温床『四丁目部落』」と表現。

法心理学の浜田寿美男によると、無実の人でもいったん自白に落ちれば、「みずから想像しながら『犯人を演じる』かたちで語る以外になくなる」とのこと(『虚偽自白を読み解く』より)。

石川氏の死刑囚としての収監期間10年に、46人が死刑執行された。袴田さんも同じ拘置所にいて、石川さんの部屋によく来た。死刑囚の部屋は鍵がかかっていないため。

そんな中で看守が午前中に入ってきて、文字を教えてくれた。石川氏が陰の恩人と考えるその看守は、8年にわたって教えてくれた。最初に教えてくれたのは「無実」という文字。4年で移動のはずだったが、看守は所長に談判して8年いてくれたらしい。
1度、宿題を怠けたときには看守に怒鳴られて目が覚めた。そんなことしていると殺されちゃうんだぞ!と。

石川さんは短歌をつくるのがうまいが、先生は死刑囚だった。3年ぐらい教えてもらった。ある歌を見せると、短歌の先生が「石川さん、明日のことはわからないからね」と言った。翌日にその人は死刑執行された。その時の歌は、
「紫か 紅か萎(しぼ)りか 朝顔の 花は明日を 知らんで咲くも」

無罪を確信していたが、1977年の寺尾判決で無期懲役。最高裁への特別抗告も棄却。さすがに参り、真犯人が出ない限り無罪判決は勝ち取れない気になって、投げ出してしまおうと考えていた。しかし、それを思いとどまらせてくれたのは、ゼッケン鉢巻きで同盟休校などの運動に参加する子供たちの存在だった。

刑務所で1足3万万円の靴を作る仕事をしていた。時給7円だったが、歩合が1日につき20円か30円つく。7時間の労働だが8時間分くれる。理由は労働の前後(朝晩)に軍隊式の行進をするが、それが1時間ぐらいかかるため。刑務所から出るときには「百何万円持っていた」。

石川さんは他の服役者に比べて支援者が圧倒的に多く、服役者たちからは〝冤罪エリート〟と見られていた。毎年1月1日にセクトの人たちが挨拶にきてマイクで叫ぶと、刑務所の中まで聞こえてくる。デモで取り囲んだシュプレヒコールも聞こえてくる。

学校に行けず、32年間も社会から隔離され、出てくると今度は〝英雄〟扱いされた。支援者のなかには、自分たちがこれだけやっているんだから、石川さん自身がもっとしっかりやってくれないと、と言う人もいる。

石川さんは13歳の時、近くを通る西武新宿線の線路に石が置かれる事件があり、彼が住む被差別部落の子供たちに嫌疑が向けられた。石川さんは警察の取調べに屈して自分が置いたと虚偽の自白をするが、山学校に仕事に行っていたという確固たるアリバイが明らかになり、疑いが晴れた。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2023年11月1日
読了日 : 2023年10月31日
本棚登録日 : 2023年11月1日

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