「イヤな気持ち」を消す技術

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  • フォレスト出版 (2012年11月18日発売)
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人間の内面で深い葛藤が起こるのは前頭前野のブリーフシステム同士が互いに矛盾を起こすから。

過酷な体験に遭いながらもそれを巧みに乗り越えていく人がいる。そういう人は過酷な体験によってどのようなハンデを背負わされたとしても、独力で自分の道を切り開くワザを編み出し、周囲の人々にプラスの影響を与える。人格的に見ても「あの人は立派だ」と多くの人々の記憶に残るような人物に成長していく。

前頭前野の認識パターンはいかようにでも変えることが出来る。いかに過酷な体験をしようとも、それは人生に成功できないことの免罪符にはなりえない。記憶ではなく前頭前野のパターンがその人を身動きならない現状に縛り付けているだけ。

過去が未来を制約することはない。

時間は未来から過去へと流れている。未来から過去へと流れる限り、未来は過去とは無関係にやってくる。未来にこうありたいという望みが実現することと、過去に自分はこうだったということは一切関係がない。

過去に因果を感じているとしたら、それはその人が過去の出来事に拘泥し、過去と同じ選択と行動を現在に繰り返してるからに他ならない。

自分の記憶に収められた出来事は、自分自身で過去にそういった事実があったと思っているに過ぎないこと。「これは自分の身に起こったことだ」という記憶は、自分に都合がよくなるように、あるいは自分に不都合になるように、自分自身で加工した記憶。

記憶を出す能力→統合能力

過去の記憶であるにも関わらず、それを統合するのはこの現在にリアルタイムで存在する脳。

記憶は幻だとは言わないまでも、決して過去を正確に伝えるものではない。

脳は何かを思い出すたびにリアルタイムで1回ごとにゲシュタルトを再構成しているため、記憶に描かれた過去の出来事が毎回思い出すたびにに同じ内容であるとは言えない。とすれば当然、その記憶の意味を補強するために情報を脚色したり、別の記憶の情報を借りてきたりすることが起きても不思議ではない。

前頭前野と大脳辺縁系はどちらかが必ず主となる。同時に主となることはない。

前頭前野を働かせ大脳辺縁系の活動に介入することによって感情的な状態は即座に収まる。

漫然とスマホを開いてる時、脳は停止状態にある。漫然とスマホを開いてる時間が長くなればなるほど、1日のうち脳の停止状態が占める割合が増す。

人間の選択によって未来が変化することは十分に起こりえるから、実際にビバーグしていたら雪崩は起こったかもしれない。

現実の結果よりもいい結果を想像して後悔するというのは、人間が抱く様々な後悔に共通している。

その科学的見解を自分の人生にも当てはまると受け入れたのは自分。人間にはたとえ現代科学の統計的結論がそうであったとしてもそれを受け入れないという選択肢がある。

全ての現実は自分が創造しているという意識に切り替わった時、人間は自分の運命を自ら創造し始める。

現実ではない過去の事に思い悩まされてもしょうがないが、現実でもない未来に不安を感じることも同じく全く意味がない。

悲しいときは徹底的に果てまで悲しむことが必要。果てまで行けば、それを超えて悲しむことはなくなるし、あとは自らの力で癒えていく。

どんな経験をしようと、それに左右されず人生を切り拓いていく力が人間にはある。

この人生において何をするかというのは、全て己に委ねられている。何をしてもいいし、「しなきゃいけない」こともない。

人間関係が希薄で互いに干渉することを好まないというのは、現代人に特筆すべき特徴の一つ。そういう組織が増えるに従って社内における人間関係が薄れ、コミュニケーション不足が起こり、自分の守備範囲のことだけ頑張っていればいいという風土が生まれた。

人間関係希薄で互いに干渉しない状態というのは、本人にとって決してリラックスできる状態ではない。なぜなら自分の身を守るために、常に周囲の様子や情報に気を配っていなくてはならないから。

自分自身の中から発せられた欲望を満たそうとすることは、決して悪いことではない。いざ欲望を満たしてみるとそれがつまらないものに映り、それが次の欲望を膨らませていくエンジンになったとしてもいいのである。それが進歩や成長というものであり、人間はそうやって一歩一歩、自分が本当にやりたいことは何か、本当に成し遂げたいことは何かを理解していく。

(実現することにより)夢を失うことによって初めて手に入れることのできる夢というのが、人間には必ずある。

人間は自らの欲望を満たしてやることで成長する。ところが現実の世界を眺めてみると、欲しいものを得たその結果に満足せず、成長もせず、不満と不安にさいなまれている人が非常に多い。その理由は、自分の煩悩ではないものを誰かによって脳に刷り込まれ、それがさも自分の煩悩であるかのように勘違いさせられているから。

人間は刷り込まれた他人の煩悩を満たしても本当の満足感を得ることはできない。

「オレはすごいヤツだ」と思ってる人に、うつ病の人はいない。

人生を謳歌したいと思うなら何事も自分に都合よく統合することが必要で、これはあらゆる精神の健康の秘訣と言える。

もう一つ私たちが精神の健康を保つときに忘れてはならない点は、自分に都合よく統合するのも、都合悪く統合するのも、それは全て自分がやってることだとはっきり自覚すること。なぜならそれは、他人の脳ではなく自分の脳でやってることだから。

うつ病は医学的にはセロトニン分泌量の不足。エフィカシーを高く持つことでドーパミンが放出され、それに伴いセロトニンも放出される。

前頭前野を働かせて考えるということは、すなわち抽象度を上げるということ。端的に言えば、それは嫌なことと良いことの差がないということに他ならない。

私たちは普段嫌なことが起これば悲しいし、良いことが起これば嬉しいと感じる。しかし、一つ上の抽象度から見ると悲しいも嬉しいもどちらも同じ「情動」に過ぎない。「それは情動だ」という認識が生まれれば、悲しいも嬉しいも関係なくなる。

前頭前野を働かせて考えるということは、すなわち抽象度を上げるということ。端的に言えば、それは嫌なことと良いことの差がないということに他ならない。

私たちは普段嫌なことが起これば悲しいし、良いことが起これば嬉しいと感じる。しかし、一つ上の抽象度から見ると悲しいも嬉しいもどちらも同じ「情動」に過ぎない。「それは情動だ」という認識が生まれれば、悲しいも嬉しいも関係なくなる。それが喜怒哀楽を超越することである。

抽象度を上げれば善悪さえもない。抽象度を上げるとあらゆるものを超えた認識が生まれる。

前頭前野眼窩内側部というところに洗脳されると発火し幸福感に包まれる場所がある。洗脳とはその場所を発火させる認識のパターンを前頭前野に作ること。

アファメーションを毎日朝晩繰り返すことで、前頭前野の眼窩腹側内側部に発火パターンを作ることができる。

リラックスした趣味を持つことは大切。IQは人間がリラックスしてる時にしか上がらない。緊張している状態は交感神経が優位な状態であり、とくに大脳辺縁系が優位になっている。大脳辺縁系が優位な時は前頭前野が働かず、前頭前野が働かないということはIQが上がらないということ。

嫌な出来事の記憶にいっさい囚われない人生が開けるとしたら、これからの未来にどれほど多くのことを成し遂げることが出来るだろうか。

因果は常に未来にある。

もっと素晴らしい未来のことだけに思いを馳せる人生を手に入れる。すると、過去の記憶がどうであろうと、それは必ず「あの時こうだったから、よかったのだ」に変わっていく。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2019年9月30日
読了日 : 2019年10月6日
本棚登録日 : 2019年9月30日

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