幾つもの名前を持つフェルナンド・ペソア。ペソアは、ペソアであるが、ベルナルド・ソアレスでもあり、実は私でもあり、あなたでもあり、ペソアも私も知らないどこかの誰かでもある。
この書物は、散策の中で書き継がれた、詩であり、散文であり、哲学書でもある。だから、断章という形をとるしかなかった。
その中からの引用
「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」
「自然であるためには、ときどき不幸である必要がある」
「私はもはや自分のものではない。私は打ち捨てられた博物館に保存された私の断片なのだ」
ペソアの言葉は反芻を促す。
イタリア出身の作家アントニオ・タブッキは、ペソアの詩に魅せられ、ポルトガル語を学び、ポルトガルのリスボンで生涯を閉じる。
山田太一はこの『不穏の書』を枕元に置いているという(『月日の残像』。
加藤典洋も地味な読者であり、その痕跡を求めてリスボンまで行ったという(『考える人』(季刊誌No50)。
私もまた、これから繰り返し読み続けることになりそうだ。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
詩集
- 感想投稿日 : 2014年11月17日
- 読了日 : 2014年11月13日
- 本棚登録日 : 2014年11月17日
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