悩む力

著者 :
  • みすず書房 (2002年4月17日発売)
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本棚登録 : 282
感想 : 25
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# 悩む力
この本の中に私は自分を発見し、生き生きとした人間の生を感じました。こんなに幸せなことはなかなかないと思う。この本は、分裂病患者が共同生活を営む「べてるの家」を取材したドキュメンタリーである。

記録に、印象に残った言葉たちを記しておこうと思う。

・(べてるでのSST社会技能訓練について記した項で。)
「じつにかんたんな会話のようであっても、メンバーの一人ひとりはSSTに集まることによってひとつのことを確認しているかのように思える。私たちはつながっていたいと。(中略)こうしたひとつひとつのことが、彼らをつなぎとめ、人間の輪の中に引き戻し、ひいては人間関係を取り戻すことに繋がっている。」

自分が休職していた頃のことを考えると、社会から断絶された孤高の存在であったと思う。少し元気になってくるとそのことに気づき、虚しくなった。いま自分が会社で働き、社会の一員として認められているという自覚が、今のしあわせな自分を作り出しているのだと、つくづく思う。そういう意味では、私も「つなぎとめられている」ことによって今の自分を保っているのだろう。

・向谷地さんの言葉
「私たちは、生活を便利にしたり豊かにしたり、自分にないものを身につけたりいろいろな努力をしているが、そういうこととは無関係に、生きることに悩みあえぐという力が与えられている。そういうことを忘れている。(中略)実は人間は、どんな境遇に生まれようとどんなに恵まれていようと、ちゃんと悩む力をもっている。」
そうか、精神病患者は悩み上手なんだな。

・分裂病患者 長友ゆみさん
「ほんとうにこわくなるというより、こわくなりそうになる、その前兆におびえてしまう。自分がどうなるかわからない、あるいは何をするかわからなくなりそうな、そのこわさ。 『いつも自分のことばかり考えてるから。そこが病気なんです。自分と付き合うのに苦労するから。もっと自信持てればいいんだろうけど。』」
前兆に怯えるということ。それはまさに今、私が経験していることです。

・ミシェル・フーコー『狂気の歴史』
精神病をつくりだしている澄みきった世界では、もはや現代人は狂人と交流してはいけない。すなわち、一方には理性の人が存在し、狂気に向かって医師を派遣し、病気という抽象的な普遍性をとおしてしか関係性をみとめない。他方には狂気の人が存在し、やはり同じく抽象的な理性、つまり秩序・身体的で精神的な拘束・集団による無名の圧力・順応性の要求たる理性を介してしか理性の人と交流をもたない。両者のあいだには共通な言語は存在しない、むしろもはや存在しないのである。

・べてるの良いところは、病気をあけっぴろげに笑ったり、平気で不謹慎な言葉でもって迎合しているところだと思う。例えば、分裂病真っ只中の人に向かって「落ちるとこまで落ちな。見ててあげるから。ばいばーいって。ワハハ」また、ある人は、自分のことを「おれ、アッパラパーだからさ」という。病気に真に向き合っているのだと思う。そこには、誰も病気を隠す人はいないし、なかったことのようにして生きる人はいない。そこが、わたしが今生きる社会とは大きく異なるところだと思う。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2017年10月7日
読了日 : 2017年10月7日
本棚登録日 : 2017年10月7日

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