コミュニティ (ちくま学芸文庫)

  • 筑摩書房 (2017年12月7日発売)
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コミュニティ ジグムント・バウマン

このような骨太の書物を要約することは非常に難しいが、試みてみる。
本書は、コミュニティの性質をとらえたうえで、近代化の過程で如何にしてコミュニティなるものが崩壊してきたか、そして現代が抱える問題について看破する。まず、コミュニティとは表題にもある通り、安全と自由の戦場なのである。これは簡単なことで、コミュニティに帰属することは安心を伴うが自由を損なう。一方、コミュニティから脱することは自由を得るが、安心を損なうというコミュニティのフィルターを通した安心と自由のトレードオフについて話している。近代化の過程での二大潮流であるナショナリズムとリベラリズムは、どちらもコミュニティを敵とみなした。ナショナリズムは国家という画一的な信念体系に人々を統合するために、これまで人々を統合していた中間共同体を目の敵にした。フランス革命後のル・シャプリエ法にもあるが、ナショナリズムとは人々をまずコミュニティという実態を持ったコミュニティから引きずり出し、国家という想像の共同体に再配置するダイナミズムのことである。人々が想像の共同体から引きずり出されることで、コミュニティは成員を失い、減退していく。一方、リベラリズムもコミュニティを敵とした。前述のとおり、コミュニティは自由を差し出す代わりに自由を取り上げるものであるからである。リベラリズムにとって、コミュニティは忌むべき因習であり、唾棄すべき前近代の象徴であった。こうして、近代化の中で、コミュニティは目の敵にされ、主で舞台からの退場を強いられた。経済の側面で言えば、グローバリゼーションにより経済の領域はますます地域にとらわれない脱領域的なものとなり、生産ではなく消費に焦点があたることで商品の早いスパンや変化し続けることに価値が見出されるようになった。絶えず流動化する経済のあり様は、足る分だけを作るという生産の概念に対して、欲望を駆り立てて消費を活性化させることが優越した結果であった。こうして変化に価値を持った社会において、変化の自己目的化が進んだ。かつてのエリートは社会変革のための変化を望んだが、現在のエリートは絶えず変化することに気を取られ、あるべき社会のビジョンを失ってしまった。経済活動が脱領域的となったこと、コミュニティが消失し、人々が準拠集団を失ったことで、個人は未だかつてない実存的不安を抱えるようになった。このように固定的なものを自由への阻害要因として世の中から消していった結果、何一つ信頼できる地盤がなくなってしまった後期近代を筆者はリキッド(液状的な)モダニティと呼ぶ。このような液状化は多文化主義の議論にまで及ぶ。リキッドモダニティでは、多文化主義の進行(信仰ともいえる)が、相対論へと到達し、最終的にはニヒリズムとなっている。皆すべて正しいという相対論の先に、文化人さえも規範や倫理の議論を辞めてしまっている。これは文化人としての退廃であると筆者は看破する。多様性を否定することはできないが、相対論が無関心に到達した時、その多様性は意味を無くす。無関心と結びついた多文化主義では文化の共存は可能であるが、その共同生活による恩恵を受けることはできない。真の価値は長い対話により開かれるものであり、文化的多様性の承認は問題の終わりではなく、始まりなのである。
様々なものが相対化し、液状化する現代社会において、筆者は最後にやはりコミュニティへの期待を述べる。
「今日の原子化した社会の病理と真っ向から対決しようとするならば、思い起こすべき課題は二つある。それは、権利上の個人の運命を事実上の個人の能力に作り替えるのに必要な資源の平等化と、個人的な無力や不幸に対する集団的な保障の構築である」
コミュニティは人々にアイデンティティを与え、実存的な保障を提供するとともに、再分配と通じて資源の平等化を進める。「原子化した社会の病理」に立ち向かうために、我々は今一度コミュニティの価値を問い直し、歴史の舞台に返り咲いてもらわねばならない。

(文化多様性と相対論に関する補足)
今年読んだ本の中で最も面白かったと言える本は水町勇一郎先生の『労働法入門』である。本書、労働法の枝葉末節ではなく、労働法の歴史的経緯や労働法に込められた倫理的な信念が語られた本である。昨今では、相対論は信仰するが、自由を推し進めた先に人倫にそぐわない社会的事象が発生することは多々ある。労働法はそのような諸問題を未然に防ぐ法体系であり、不断の努力である。私の今のホットトピックは社会保障であったが、社会保障がセーフティネットであり、対症療法であるのに対して、労働法は予防の観点が強い。人格と不可分である労働への規制は、倫理や哲学そのものである。人間にとって、社会にとって何が正しさなのかを追求する労働法は、相対論の荒波に対する防波堤となりうるものであり、その防波堤の意義は現代においてますます大きくなっている。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2021年8月29日
読了日 : 2021年8月28日
本棚登録日 : 2021年8月28日

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