「私はコミュニケーションが嫌いだ」
という出だしから衝撃的な本。そして全部が面白い。
人は他人と完全に理解しあうことなど不可能である。では,この分かり合えるはずのない他者とは,私にとってどういう存在なのか。「不気味な」他者とコミュニケーションするとは,一体どういうことを指すのか。そしてどういった枠組みで語れるのか。
以上のような点を,著名なコミュニケーション研究者たちを訪問する形でまとめてある。
その研究者たちの奥村先生に対する振る舞いが,研究者それぞれのコミュニケーションに関する主張に沿った対応となっている点も面白かった。コミュニケーションに「浸透」を主張するルソーは相手へ過剰に配慮することなく素直に自身の思考内容を示し,「距離」を主張するジンメルは礼儀正しく別れ,「接続」を主張するルーマンは情報の受け手にも注目し理解ではなく接続の維持とそれによる情報更新を重視し奥村先生とのメールを一方的に切り上げる。
自分なりにまとめると,
・根本には「完全に相手を理解することなど不可能」という視点を持ち,コミュニケーションをすること
・コミュニケーションの目的によっては,ハーバーマスの言うような「対話」的要件も重要になってくること
・コミュニケートそのものが目的となっている場合には,レインの「存在論的安定」を要因として見ること
・相手との関係性によっては,「ダブルバインド」が「遊び」と反転すること
かな。
久しぶりに,早く先を読みたいと思いながら読んだ本だった。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
心理
- 感想投稿日 : 2015年9月4日
- 読了日 : 2015年9月4日
- 本棚登録日 : 2015年9月4日
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