悲しみも涙も怒りも盡【つ】き果てし此の侘【わび】しさを持ちて死なまし。
木村久夫遺書より
来年は戦後70年。戦没学徒兵の遺稿集「きけ わだつみのこえ」(岩波文庫)を、今の学生たちは読んでいるだろうか。なかでも、28歳で戦犯刑死となった木村の遺書は、悲痛な叫びに満ちたものである。
1918年、大阪府生まれ。京都帝国大学の学生だったが、陸軍上等兵としてインド洋のカーニコバル島に駐屯。英語が得意だったため、現地の住民たちと触れ合い、人間的な交流も図っていたという。
だが、軍幹部による隠蔽工作もあり、木村は戦後、戦犯として死刑判決を受けた。上官から、法廷で真実を語ることを禁じられていた彼の悔しさを思うと声を失う―。
異郷の刑務所で、田辺元「哲学通論」の余白に書きつけた遺書が「わだつみ」に収録されたが、今春、東京新聞の調査で、遺書はもう1通あり、「わだつみ」の手記は改変されたものだったことが明かされた。
エリート学生の言であり、当時のすべての若者の声とは言い切れないが、それでもなお、次の新発見された文は真に迫る。
陸軍将校らが「なしてきた栄誉栄華は誰のお陰【かげ】だったのであるか、すべて国民の犠牲のもとになされたにすぎない」「労働者、出征家族の家には何も食物はなくても、何々隊長と言われるようなお家には肉でも、魚でも、菓子でもいくらでもあったのである」。
だが加えて、「満州事変以後の軍部の行動を許してきた、全日本国民にその遠い責任があることを知らなければならない」。この一文も、今、改めて読み返したい。
(2014年12月7日掲載)
- 感想投稿日 : 2014年12月7日
- 読了日 : 2014年12月7日
- 本棚登録日 : 2014年12月7日
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