日本に生まれ、日本語を話し、日本の教育を受け、生活してきているわけだから、日本や日本人のことはまあ、分かる。韓国や中国については、何度か観光で旅行したことも、仕事のために出張したこともある。また中国語は何年か習っていて、簡単な日常会話なら出来る。会社には同僚や部下に中国や韓国の人達がいるし、会社の外でも友人だと言える人もいる。しかし、所詮その程度でしかない。
尖閣諸島や魚釣島等の領土問題、また第二次世界大戦中の南京大虐殺や慰安婦問題等、何かある度に、新聞、テレビ、ネット等を通じてマスコミから情報が流れてくる。そのそれに対して、色々な意見を目にしたり、耳にする。
しかし、中国の人口は13億人、民族が50以上。当然、政体としての発言も行動もあり、それらに対して批判も可能だとは思う。ただし、その時に「中国って」とか「中国人って」と、ひとくくりにした論を目にしたり耳にしたりするたびに、毎回強烈な違和感を覚えてしまう。そもそもいったいその発言や行動の主体は何なのか、国なのか、政体なのか、民族なのか、ある団体なのか、個人なのか、といったような前提にもっと注意する必要があるのではないか。
生まれ育った国でもない、完璧に言葉を理解できるわけでもない、その国の教育を受けたわけでもない、そんな中で、非常に限られた狭い視界から一瞬の景色だけを見せられたとしか思えないマスコミの情報に触れて、「あの国はね」と論ずることはものすごく乱暴なことではないか。
本書は、分かりやすく説明的なタイトルだが、中国、韓国の歴史検証をふんだんに行って、両国がなぜ日本に対して反日の感情を訴えるのか、その理由と、そういった反日感情にいかに正当性がないか、という点を、かなりしつこく解説している。日本や日本人のことをかなり持ち上げていて、ちょっとこそばゆい感じがする部分もある。
内容はなるほど、そうなのか、という情報が多く、私のような浅学の徒にとっては非常に勉強になるものといえる。
ただ、やはり本書もまた、或るひとつの見方であり意見である、という理解の前提をおくべきだろうと思う。所詮人間と人間が一緒にいれば、そこには常に友好がある一方で、諍いも必ず起きる。個人レベルで起こることが国や民族といった集団レベルに拡張され、やがて大きな事件として歴史に刻まれる。だからこそ国や民族が違っても一人の人間同士が、お互いをどう理解しようとし、どう付き合おうとするのか、ということの大切さと難しさを思う。人間は、まだまだまだまだ、未成熟な種族なのだろう。
- 感想投稿日 : 2017年4月28日
- 読了日 : 2013年1月7日
- 本棚登録日 : 2017年4月28日
みんなの感想をみる