バッキンガムの光芒 (ファージングⅢ) (創元推理文庫)

  • 東京創元社 (2010年8月28日発売)
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感想 : 23
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『英雄たちの朝』『暗殺のハムレット』に続くファージング三部作の完結編。ファージング三部作は、1941年にナチスドイツと講和を結んだイギリスを舞台とする歴史改変小説だが、三作目の今作は第一作からは10年後、ドイツとの講和からは実に20年が経過している。
史実同様のユダヤ人政策を取り続けるナチスドイツは世界大戦に勝利し、日本は着々と帝国の版図を広げて消滅したソ連の国土をも狙っており、国際政治の表舞台に登場しそびれたアメリカは存在感を失っている、そんな1960年のイギリス。これまでのファージングシリーズも、警察官カーマイケル視点の物語と、彼が関わる事件の中心部にいる女性の視点で語られる物語とが交互で綴られるスタイルだったが、それは今作も同様。今回は、警察官からイギリス版ゲシュタボ・監察隊の隊長へと転身を果たしたカーマイケルの物語と、彼が後見人を務める少女エルヴィラの物語とが絡み合いながらストーリーが展開していく。
ごく当たり前の世間常識としてファシズムやユダヤ人差別思想が蔓延する中で育ったエルヴィラ、“デビュー”すなわち女王拝謁を目前に控え準備に追われる彼女がファシストの暴動に巻き込まれて全く違う世界へと引き込まれていく一方、立場を利用し影でユダヤ人の国外脱出を助けていたカーマイケルも、暴動の被疑者として捕らわれたエルヴィラを救おうとする中でまたしても政界の闇と対峙することになる。
シリーズ一作目、二作目も本人の意思と関係のないところで主人公たち(カーマイケルも、語り手の女性も)が政治的な主義や思想、権力構造などの巨大で漠然とした力の前に屈服させられる、何とも後味の悪い、ストレス残るストーリーだったが、今回も途中までは全く同じパターン。個人の力では変えられない社会状況、個人の思いも尊厳もいとも簡単に踏みつぶす冷たい政治の世界……けれども、シリーズ完結編の今作には、今までとは違う結末、ハッピーエンドとまでは言わないけれど、未来に希望をつなぐことのできる結末が用意されていて、一作目二作目とは読後感が全く違う。おかげで、少々気持ちを持ち直し、ブクログにレビューを書く元気も湧いてきた。
歴史の歯車が一つ狂うだけで、こんな風に何もかもが少しずつ、けれど決定的に変わってしまった世界というものは実現しうる。この作品の、実際の世界とほとんど変わらない日常の描写とその中にぽつぽつと混ざる「ちょっとした違い」、その組み合わせによって描き出されている社会の恐ろしさが、「これは起こりうる事態である」という恐怖にも似た思いを読者に強く強く呼び起こす。そしてその恐怖は、いま、この日本で生きている人間にとっては、決して他人事とは思えないリアルさをもって迫ってくるのだ。
民主主義的な手続きにのっとって政権を獲得した施政者は、有権者である「私たち」が選んだ、「私たち」の代表者となる。ここでの「私たち」には、選挙に参加した者だけでなく参加せず無関係を決め込んだつもりの者も、否応なく含まれる。「私たち」を代表するその人が持つ、この国を、「私たち」の生活を、変えていくことのできる力というものを、民主国家に住む人間は皆、真剣に、本当に真剣に考えなくてはならないのではないだろうか。完結編こそカタルシスの得られる作りになっているが、ファージングシリーズを読んで感じる陰鬱な、そしてリアルな怖さを、多くの人に体験してもらいたい、と思う。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 海外:イギリス
感想投稿日 : 2017年10月27日
読了日 : 2017年10月22日
本棚登録日 : 2017年10月27日

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