「晩春」「麦秋」との三部作…と、ついとりちがえてしまいそうになるタイトルではあるものの、本作には「紀子」という役名の原節子もいなければ子役も登場しない。
端的にいうなら「2~30代の会社勤め仲間が繰り広げる愛憎劇」といった風な、小津作品にはちょっと異質な舞台背景。原節子を間において対比するなら成瀬巳喜男監督作品「めし」(1951) の小津版といったところか。
武満徹を主題とする映画祭において「乾いた花」(1964) で拝見して以来の池部良演ずるは倦怠期に入ったある会社員の夫。嫌味をいう側の嫁は淡島千景なもんだから、観ている側とすればその嫁の綺麗さ、健気さに夫の側を責めたくなるところであるが、彼のどこか陰のある渋さがその感情にブレーキをかける。この「陰」の部分がどこからくるのかと思いを巡らせつつwikipediaなんかを読んでいると、彼の従軍経験からきているのかもしれないという結論にたどり着いた。従軍中は南方への輸送船を撃沈されて10時間泳いで生き残ったり、戦後1年近く抑留されてから苦労して戻ったり…と当時の従軍体験者からすれば当たり前の話だったのかもしれないが、そうした経験がスクリーンに現れて残っていてもおかしくはないのではないかと思えてくる。結構最近までご存命だったことを改めて知り、これでまた宿題増えた感ありとなる。
本作での山村聰についてはちょい役過ぎてまだ佐分利信と混乱していた頃(苦笑) これは後日「宗方姉妹」(1950) での演技を鑑賞してうち破られることになる次第。高橋貞二は相変わらずの安定感。岸恵子についてはこの作品の前に鑑賞したのが「細雪」(1983) での約30年後の着物美人長女役ということで、そのギャップが想像を絶するのは観た人にしか分からない(笑) (ちなみに同じくFilm Forumとでの上映というのがエライところ)本作では当時の彼女の小悪魔的存在感は十分発揮されており、そういう役どころの話をしていると池部良つながりで言うところの「乾いた花」での加賀まりこなんかをふと連想したりする。
超個人的には終盤部、瀬田唐橋河畔でのロケシーンに萌え…
東京や大阪といった街が古い映画に映っていてもつい通り過ごしてしまいがちなのだけれども、1956年当時の地元を映されるとつい「おおっ。」と(笑)
- 感想投稿日 : 2019年6月24日
- 読了日 : 2014年5月12日
- 本棚登録日 : 2019年6月24日
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