高校野球が好きで、数年前まで必ず夏には甲子園詣ででよろしくいそいそと出かけていた。それも地元校の出ない試合を選んで。タイガース戦なら外野観戦はお断りなのに、高校野球に限ってはむしろ銀傘はNG。炎天下の外野席で観るのを無上の楽しみにしていた。贔屓の高校が無いだけに舌打ちすることもない。好プレーには惜しみない拍手をし、白熱した試合なら『しょうもないエラーや四球を出すなよ!』と心中で檄を飛ばした。
言うまでもなく春も夏も甲子園大会は郷土の代表が集まる大会。ゆえには世間の関心は高い。また野球は集団スポーツだけにミスやエラーをすれば否が応でも目立つ。それが試合の雌雄を決するエラーともなると、まさしく『末代まで語られる』騒ぎとなる。
本書は、プロ野球・甲子園・五輪…で『世紀の落球』をし『戦犯扱い』を受けた3選手を取り上げる。その問題となるプレーを克明に再現、『エラー後』に襲ったバッシングともがき苦しみ、絶望の淵からの再生…を3つのフェーズで辿ったドキュメント。
①1973年8月5日【阪神・巨人戦】
9回表。阪神2-1とリード。2アウト1・3塁。打者 黒江は江夏の球を一振。打球はライナーで、センター池田の正面へ。万事休すと思いきや池田は芝生に足を取られあお向けに転倒。球は転々とセンター最深部。二人のランナーは悠々ホームイン。阪神は勝利目前にして痛恨の負けを喫する。
② 1979年8月16日【甲子園大会 星陵・箕島戦】
延長16回裏。星稜3-2でリード。2アウトランナー無し。箕島の打者の打球はファースト加藤の後方のファウルゾーンへ。捕球寸前に転倒。命拾いした打者は直後に同点ホームランを放つ。息を吹き返した箕島はサヨナラ勝ちを収める。
③2008年8月23日【北京五輪 日本・米国戦】
3回表終了し、日本が4-1とリード。3回裏レフトGG佐藤が先頭打者の打球を落球。これを契機にピンチを迎え、同点3ランを浴び、その後加点もされ、日本は4-8で米国に敗れ、メダルを逃す。ちなみに佐藤は準決勝の韓国戦でも2エラーをし、韓国に敗れている。
ペナントレースの岐路となる試合、全国高校野球大会の注目のカード、勝てば金星となる試合、五輪のメダル獲得がかかった試合…で、痛恨のエラーをした3選手。一様に彼らは周囲の 人たちやマスコミから激しく執拗に叩かれ傷つく。中には自殺まで考えた選手もいる。それでもどん底から立ち直り、その後の人生へと踏み出した。また、自己の痛切な体験を時に自虐的なユーモアも交え、社会に伝え、多くの人を励ましてもいる。
3選手の『落球』は紛れもないエラーではある。ただ本人の不注意がもたらしたボーンヘッドではない。元々守備力が劣っていたわけでなく、そこに想定外の要素が重なり起こった。彼らは自身に降りかかった不運を恨むこともなく言い訳をして逃げてもいない。むしろ自身を責め、その後の試合で活躍もした。そう、真正面から現実を受け止め生き抜いた。
3人の中で唯一池田氏は鬼籍に入られている。引退後経営する洋品店が軌道に乗り出した頃、病魔に襲われ急逝。享年59。その池田氏が立ち直りのきっかけを掴んだのは1986年のワールドシリーズ。あとアウト1つで覇者になる目前、ファーストゴロをトンネル。戦犯扱いを受けたボストンレッドソックスのビルバックナー。彼が語ったのは、『これがわたしの人生です。このエラーを自分の人生の糧にしたい』。これを聞き、感動のあまりぼろぼろと涙を流した。
ボーンヘッドとエラーは似て非なるもの。前者は怠慢がもたらし、防げたミス。池田氏が立ち直るきっかけを得るまで13年という長い時間を要した。本来ならエラーの内容を見極めた上で、かばい、フォローすべき監督に痛罵された。以来、夜中に何度も江夏を訪ね詫びたという。
リーダーの資質として、ボーンヘッドには叱り、積極的なエラーには寛大に対応する力を求められるが、これをリーダー論の範疇に留めるのではなく、社会全体で、個人に置換し、共有すべき重要な視点…だと痛感した一冊。
- 感想投稿日 : 2021年2月17日
- 読了日 : 2021年2月17日
- 本棚登録日 : 2021年2月17日
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