都市の文明イスラーム (講談社現代新書 1162 新書イスラームの世界史 1)

制作 : 佐藤次高  鈴木董 
  • 講談社 (1993年9月1日発売)
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シーア派とスンナ派の対立はウマイヤ朝成立時の権力争いにさかのぼる。キリスト教でも聖書の解釈をめぐって神学を必要としたが、イスラームでもコーランの解釈のためにスンナが用いられた。カリフやスルタンには立法権がないこととあわせて、預言者が存在する一神教の宿命を思わせる。

改めて中東の地が世界の中心であったことを知らされた。アッバース朝時代の8世紀には官僚と常備軍に支えられた国家が実現した。地中海のスペインやシチリアを経てイスラム文明がヨーロッパに伝わった。アンダルスでは、宗教的な寛容の時代に文明は発展したが、宗教の力が強くなると対立を招いて衰退に至ったことは、宗教と社会を考えるにあたって示唆的である。

イスラーム国家の成立
・かつてアラブとは、アラビア半島の北部に住む人々のこと。
・ムハンマドの死後、神の使途の代理人としてのカリフを選ぶようになった。第3代カリフ、ウスマーンの時代に書物としてのコーランが完成した。
・第3代カリフが殺害された後、メディナの人々はムハンマドの従弟で娘婿でもあるアリーを選んだが、シリア駐屯軍を率いるムアーウィヤが放った刺客に暗殺され、ウマイヤ朝が成立した。
・ウマイヤ朝の時代にアラビア語が行政のための言語として用いられた。
・シーア派はアリーとその子孫を正当な指導者とみなし、コーランの内面的な意味を会得する秘儀が預言者から伝えられていると考える。
・スンナ派は預言者の言行(スンナ)を重視し、それを見聞した情報を集めて判断する。多数派。
・アリーの権力をウマイヤ家が奪ったと考えるシーア派の運動の中から、ムハンマドの一族であるアッバース家が支持を獲得してウマイヤ朝を倒した。
・アッバース朝時代のバグダードに知恵の館が設立され、8世紀には官僚と常備軍に支えられた国家が実現した。官僚の多くはイラン人、マムルーク軍人の中心はトルコ系諸民族。
・イスラーム法はコーランと預言者の言行を基にして、アッバース朝時代の9世紀頃に整えられた。
・コーランに基づいて立法し法を解釈するのは法学者や裁判官などのウラマーで、スンナ派のカリフやスルタンには立法権や法を解釈する権限もない。

地中海のイスラム文明
・後ウマイヤ朝時代は、異教徒も信仰の自由を許され、商業や文化の活動に参加した。各地からもユダヤ教徒が移住してきた。
・11世紀末に成立したムラービト朝は強烈な宗教運動から発展した国家だったため、キリスト教徒に対する非寛容の精神がヨーロッパ全体の宗教的情熱を育て、十字軍を生んだ。
・地中海で複数の民族・宗教の複合した文明において、大三角帆の帆船や羅針盤、灌漑技術、サトウキビ、稲、オレンジ、桑、綿などがスペインやシチリアに伝えられた。バルセロナのユダヤ教徒アブラハムが、12世紀にアラビア語の科学書をヘブライ語に翻訳した。

アフリカの中のイスラーム
・古くから、キャラバン商人はサハラ砂漠で採れる岩塩をスーダンの地で砂金と交換していた。4世紀頃にガーナ王国が成立。13世紀に建てられたマリ王国では黄金伝説が生まれ、黒人奴隷も輸出されるようになった。
・東アフリカでは、オマーンが17世紀末にポルトガル人を追放してからアラブ商人の活動が再開し、黒人奴隷貿易が19世紀末まで続いた。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2013年3月18日
読了日 : 2013年3月21日
本棚登録日 : 2013年3月18日

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