承久の乱-真の「武者の世」を告げる大乱 (中公新書 2517)

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  • 中央公論新社 (2018年12月19日発売)
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4

2022年度の大河ドラマ、三谷幸喜の「鎌倉殿の13人」(北条義時=小栗旬、北条政子=小池栄子、源頼朝=大泉洋)は大ヒットとなった。
かつての大河ドラマ「草燃える」(北条義時=松平健、北条政子=岩下志麻、源頼朝=石坂浩二)のリメイクで、主役は、史上最も人気の無い(と言われる)北条義時だ。
一体誰がこんな地味で暗く陰湿な男のドラマなど見たいだろうか?
しかし、そんな予断を見事に裏切って、この大河ドラマは、三谷幸喜の絶妙の演出と、優秀なキャストによって、一年間高視聴率をキープしてみせた。
お見事!と言いたい。

大河ドラマ「鎌倉殿」のクライマックスは承久の乱だった。
それまで天皇家は戦争で負けたことがなかった。
天皇家と戦うというだけで、相手は戦闘意欲を失い、腰砕になってしまうのが常だった。
承久の乱もそうなる筈だった。
後鳥羽院は、鎌倉幕府に戦争を仕掛けるが、戦争で勝とうなどとは思っていない。
相手を朝敵と名指すだけで十分だと考えたのだ。
案の定、朝敵と名指しされた鎌倉方は腰砕けとなり、まともに天皇家に弓引こうなどと言う武士はどこにも居なかった。
義時にしても、全軍を任された義時の嫡男、泰時にしてもそうだ。
ビビる鎌倉武士を、ただ一人叱咤したのが、鎌倉殿の役を務めていた北条政子だ。
出陣することに決まったものの、ビビった泰時は出陣前に、父である義時にお伺いを立てる。もし、敵の陣に後鳥羽院がいることがわかったらどうしたら良いか、と。
その時は、全員、馬から降りて土下座して謝れ、と言うのが義時の回答だった、と言う。
幸い(?)、後鳥羽院が出陣しなかったがために、泰時は思う存分戦うことが出来、鎌倉方は勝利を収めた。
これが、日本史上、初めて無敗神話を誇った天皇家
が、敗北した戦争なのだ。

本書は、その「承久の乱」を主題として、「鎌倉殿」の主人公、北条義時が、時代の巨大な転換を行ったことを十分に理解させてくれる。
承久の乱が、日本史上、途轍もなく大きな意味を持ったこともよく分かるのだ。
著者の坂井孝一は、「鎌倉殿」時代考証も務めた。

承久の乱を日本史の画期と見做すのは、社会学者、大澤真幸も同様だ。
大澤真幸は、「日本史のなぞ なぜこの国で一度だけ革命が成功したのか」において、日本史上、唯一成功した革命が、承久の乱とその乱後の処理(貞永式目の制定)にあったと断定している。
大澤真幸は、それを主導したのが、義時の嫡男、泰時であったと、革命のヒーローを北条泰時であるとする。
本書では、それを批判し、大澤が「日本で唯一の革命」と呼ぶ承久の乱とその乱後の処置を決定したのは、泰時でも義時でもなく、政子であったと述べる。
鎌倉殿の地位にあったのが政子であったことを勘案すると、坂井説に軍配があがるのではないか。

坂井は、また、後鳥羽院が起こした承久の乱について、「後鳥羽院は討幕まで考えていなかった」と主張する。
その意味では、時期を合わせて発行された本郷和人「承久の乱」の見方を否定するものとなっている。
本郷説は、承久の乱の目的は、明らかに討幕にあったというものだからだ。

坂井は、後鳥羽院が倒幕を目指したという本郷も与する「謬説」がどのように一般化したのか、「文献」と「思い込み」の二点で説明してみせる。
中々、説得力がある。

「文献」とは、鎌倉幕府の公式歴史書「吾妻鏡」だ。
ここには、後鳥羽院の意図を「倒幕」とすることで、鎌倉方の団結を図った、と述べられている。
「倒幕」と見做すことで、メリットあったのは鎌倉幕府だったのだ。
その記述に、歴史家が引っかかったというのだ。

「思い込み」とは、後醍醐天皇による討幕の過去への投影、ということだ。
承久の乱から100年後、後醍醐天皇による倒幕計画が成功し、鎌倉幕府は崩壊する。
この倒幕という歴史的事実を過去に投影することで、後鳥羽院の意図も、後の後醍醐天皇と同様、討幕にあったと誤認した、というのだ。

歴史的闘争はすべて土地を巡るものであることが
本書を通して、つくづく理解出来る。
土地の取り合いはオセロゲームのようなものだ。
承久の乱で鎌倉幕府が得たのは、
 平家領500+天皇領3000=3500領
という膨大な領地だった。
天皇家の土地ばかりか、それまで手の届かなかった西国の平家領まで手にしているのだ。
これが、源氏鎌倉幕府による全国支配に繋がっ
た事が分かる。
承久の乱が無ければ、鎌倉幕府は、東国の地方政権で終わったという事だ。
その意味では、源氏三代の将軍は、全国の支配者ではなく、鎌倉を中心とした地方政権の主人(あるじ)に過ぎなかったのだ。
真の全国政権は、承久の乱後のことであり、初めて全国支配を成し遂げた鎌倉殿は、誰あろう北条政子であったということになる。

承久の乱は、兼ねてから議論のポイントになってきた。
今や葬り去られた戦前の皇国史観学者、平泉澄の理論を社会学理論のモデルに作り変えた小室直樹も承久の乱を日本史の画期と見做している。
それは、古来から日本にあった「予定説」が「因果律」に転換した思想的画期であるというものだ。
この理論モデルによって、日本史の思想的展開、承久の乱の持つ途轍もない影響の意味が分かる。
(小室直樹「論理の方法」)

坂井孝一は、源実朝に関する研究で実績を上げた。実朝像の転換を図り、教科書の記述まで変えた業績は大きい。
教科書の記述も歴史学者の研究の進展によって、次々と書き換えられて行っているのだ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 日本史
感想投稿日 : 2023年8月12日
読了日 : 2020年6月7日
本棚登録日 : 2022年11月26日

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