明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい (幻冬舎単行本)

著者 :
  • 幻冬舎 (2015年8月6日発売)
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感想 : 1
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 こういう本は、今まであまり読むつもりは無かったのだが。
 自分の父が肺がんで他界して1年と少しになる。私は父と同じ職業に就き14年一緒に働いた。趣味でも父と同じ本の貸し借りをしたりして、親子でありながら同志のような存在であった。今でも発作のように悲しみが襲ってきて、その喪失感は癒えることはない。
 父の散り際は見事だった。他界する寸前まで、仕事の引き継ぎ書類をまとめ、住所録を書き直し、愚痴もこぼさずに逝った。だからこそ思うのだ。
「もっとしてあげられることはなかったのか」
「最後まで復帰したいといっていた仕事に、いっときでも復帰させることはできなかったか」

 この本は、病理学のドクターが書いたものだ。死から遡って病を読み解く学問をしている先生が、死に直面した患者さんと対峙する「がん哲学外来」を開いているという。
 このドクターが言うように、「暇げな風貌」をした医師が話を聞いてくれる外来というのはまずない。私の父の担当医は本当にいいかたで、良く話を聞いてくださったが、いつも顔色が悪く、忙しそうで、こちらが甘えて良い雰囲気では決してなかった。恐らく患者も家族も、余裕がありそうにみえる人にしか、なかなか長い時間をかけて心を開こうとは思わない。「暇げな」ということが、どれだけ貴重なことか、と思う。
 自分自身、父から仕事を引き継いで、睡眠時間を削ったまま1年以上を過ぎた。自分がやらなければと思いながらここまで来たが、そういうやりかたは「品性が感じられない」、自分だけしかできないことは実は少なく、できるだけ絞ったほうがいいと。なるほどな、と思った。
 父も最後まで仕事に復帰することを願って療養しており、抗がん剤治療をして7ヶ月、復帰したいと先生に話したところ、「それは」と言われ、かなりショックを受けていた。最後まで希望を持たせてあげたいと思ってはいたが、叶わなかった。その中でも自分が出来ることを見つける、他人のためにできることに目を向けるべきと本書は言っているが、父にとってはそれが仕事の引き継ぎ書類や、住所録の作成だったのかなあ、と。
 人生に疲れたら墓に行け、とも書かれているが、父も良く折に触れて祖父の墓参りをしていた。自分の墓も入院直前に決めて、実家のそばの寺だったので、「塀に昇れば(実家が)見えるかな」などと言っていたものだ。本書に書かれていた、「ユーモアを忘れず」、「自分のできることをする」、その実践をしていた父だった。
 自分で死に直面したとき、父のような考えかた、生きかたはとてもできないと思っていて、今でもそうなのだが、この本が少し背中を押してくれた気がする。そして父の死からまた少し、立ち直れたような気がしている。
 書評というよりは自分語りになってしまってごめんなさい。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: エッセイ
感想投稿日 : 2015年9月21日
読了日 : 2015年9月21日
本棚登録日 : 2015年9月21日

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