東京古墳散歩

著者 :
  • 徳間書店 (2014年11月18日発売)
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本棚登録 : 24
感想 : 4
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東京古墳散歩
2014.11発行。字の大きさは…小。

この本は、皆様のレビューを見て図書館に予約したものです。

古墳といえば、奈良県を中心とした関西地方に多くあるものだと思っていました。中学生か高校生ぐらいに、父と一緒に明日香に行って石舞台をはじめとした遺跡を見に行ったことが有りました。その石舞台も、「石舞台古墳」というのだと知りました(苦笑) 
その古墳が、東京にあるとは思いもしなかったです。
全国に約20万基あり、一位が兵庫県、二位が鳥取県、三位が千葉県です。

都心の東京タワーが見える芝公園の中に「芝丸山古墳」が有ります。
是非行ってみたいと思います。
2020.06.30読了

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 歴史、古典
感想投稿日 : 2020年6月30日
読了日 : 2020年6月30日
本棚登録日 : 2020年6月14日

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コメント 2件

kuma0504さんのコメント
2020/06/30

こんにちは、やまさん。古墳の本を読んでくれたので、嬉しくなってついコメントしてしまいました。
古墳って、昔の小さければ町内、大きくても県内ぐらいの取りまとめ役のお墓なので、気がついたら裏山にあったということがしょっちゅうあります。でも東京は「開発」をして「古墳跡」というのも多いかもしれません。
私の近所(歩いて10分以内)に2基ありますが、元は6基ありました。元々は島だったこの地域に、何故こんなに古墳があるのか?想像すると、とっても楽しいです。

kuma0504さんのコメント
2020/06/30

ちょっと気になったので、我がムラの残っている古墳のことをもう少し説明します。新興住宅造成のために取り壊されて移築復元されている公園の看板を見ると、築造7世紀、直径7メートルの古墳時代末期の典型的な横穴式石室を持った「円墳」です。中はすっかり盗掘に遭っていて、どんな人のお墓だったのかあまりよくわかりませんが、耳飾りとガラス玉が残っていました。横穴式石室は、氏族のお葬式を繰り返し行える利点があるので、夫人の持ち物だったのかもしれません。

場所は、はるか彼方まで見渡せる見晴らしのいいところに建っています。古墳時代は、瀬戸内の小さな島だったところですが、最近江戸時代の伊能忠敬が作った地図を見ると、地名の記載があるのは、私の村よりも隣の隣の村が2つ記載がありました。つまりそこに庄屋クラスが住む開けたところだったというところだったのでしょう。古墳時代でも、人が多く住んでいたのは、その村だったと思えます。では、何故こんな寂しい裏山にお墓を建てたのか?しかも7基(6-7世紀の50-100年間)も?田んぼはないはず。漁労でそんなに栄えているとも思えません。少なくとも数トンする石を動かして石室を作り造成するには数百人の住人が必要なはずです。一つ考えたのは、地形的にこの村が島の入り江になっていることです。当時は唯一の天然の港だったのかもしれません。そこを見張るように墓を作るということは、交易の重要拠点だった可能性があります。けれども、瀬戸内にたくさん島があって何故この島がそうなるのか?万葉集に詠われた港は、牛窓や鞆の浦など、ちょっと遠くです。いろいろ謎です。古墳時代の交易を担う人たちが果たして多くいたのか?いたとして、その人たちの拠点がこの島で、倉庫の役割をしていたのか?それとも「海賊」みたいなところだったのか?

想像は膨らみますが、日本書紀などの記録として残っているのは、大和政権の都合の良い事ばかりです。それ以外の「歴史」は隠れています。まだまだ「新発見」は、私たち素人でもできる気がします。そう思うとワクワクしませんか?

と、つい書き出すと長くなりました。すみません。自己満足の文章です。お返事はいりません。失礼しました。

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