ヨーロッパから民主主義が消える 難民・テロ・甦る国境 (PHP新書)

  • PHP研究所 (2015年12月15日発売)
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ドイツ人の夫と娘(生物学的には「ハーフ」ということになろうが、ドイツに生まれドイツに育った彼女たちは、本人を含む誰に言わせても「ドイツ人」であろう)を持ち、在独30年という著者は、EUができた当時を肌で知っている。それまで「ドイツ国民」と「それ以外」に分かれていたパスポート・コントロールは、爾来「EU市民」と「それ以外」に変わった。それを目にして、著者は何とも言えない不快な気持ちになったという。
「いやあね、今後、ドイツで日本人は差別されるのかしら?」 連れ(おそらくは「ドイツ人」の夫君か娘さんだろう)にそう言った時はあくまで冗談のつもりだったが、それから20年以上を経た今、著者はまんざら笑い事ではなかったかもしれないと思い始めている。
国家という「有料会員制クラブ」で、国民とそれ以外が峻別されるのは当然のことだ。だがしかし、同じ「外国人」にもかかわらず「一級市民」と「それ以外」とに分けることには、どんな理屈もつけようがないだろう。
ことほどさように、EUとは本来排他的なものだった。それが、こともあろうに「正義」と「寛容」なんぞを旗印に掲げ出したところに、こんにちまで続く混乱の源がある。
「畢竟、どこまで行ってもドイツ人はドイツ人、スウェーデン人はスウェーデン人、ポーランド人はポーランド人でしかない。彼らが『ヨーロッパ人』として団結できる時はただひとつ。ヨーロッパの外で、アジアやアフリカの人々と対峙した時だけだ」
本書の主眼は、著者のこの分析に尽きると思う。そしてそれは、著者(や私)に言わせるなら、ごく当然のことに思えるのだ。「なぜドイツ人はドイツ人であることを超越できないのだろう?」 これをとてつもない不幸や、本人の怠惰や、何かの間違いであるかのように言う人もいるが、私にはそれらの人々は「なぜ人間は500歳まで生きられないのだろう?」とでも言っているかのように見えてならない。つまり、とてつもなく身の程知らずで、傲慢で、思い上がった人間に。
人間は己の限界を知り、その上で重々身を慎んで行動すべきだと思う。

2016/11/7読了

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 社会
感想投稿日 : 2016年11月7日
読了日 : 2016年11月7日
本棚登録日 : 2016年11月7日

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