令和元年のテロリズム

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  • 新潮社 (2021年3月26日発売)
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刊行記念イベント 「現代日本の〝テロリズム〟――秋葉原殺傷事件と 川崎殺傷事件を繋ぐもの 」に参加するため、手に取った。

川崎殺傷事件(注)、元農林水産省事務次官長男殺害事件、京都アニメーション放火事件の3つの事件を、今の時代を読み解く鍵として考察している。/


人は、外敵から攻撃を受けたとき、暴力を振るう。
もちろん、何らの攻撃も受けることなく、自ら暴力に訴えるケースもあるだろうが…
彼らの場合は、前者なのではないか?
では、彼ら犯人たちは一体どんな攻撃を受けていたのだろうか?
僕は、「生産性なきものは去れ」という思想がそれではないかと思う。
この世間を支配する思想は、引きこもっている部屋の中へも、四六時中、砂のように侵入して部屋中を覆いつくしてしまう。
逃げ場はないし、抗ったとしてもおそらく彼らに勝ち目はないのだ。

ダーウィンの生存競争の現代版が「生産性」だと考えれば、この社会からそうした要素を駆逐するのは難しいのかも知れない。
だが、世の中を勝者と敗者に区分せずにはいられない社会というのが、本当に住みよい、暮らしやすい社会なのだろうか?

水俣病で、アセトアルデヒドの生産過程で出た工場廃液に含まれる有機水銀が、魚介類の中に蓄積されていったように、「生産性」にもまた、ある種の毒が含まれているのではないか?
だとすれば、そろそろその毒を無害化するワクチンの開発に力を注いでもいい頃なのではないか?/

《鬼一人つくりて村は春の日を涎のごとく睦まじきかな》(前 登志夫)

相模原障害者施設殺傷事件の後、僕の脳裏にはこの歌が染みついてしまった。
そろそろ、なんとかみんなで鬼を作り出さないシステムを考えてもいい頃ではないだろうか?


凍った沼のその氷の下に落ちてしまったかのような彼らの生を想うと、胸が塞がれるようだ。

《何故に人間はかくあらねばならぬのか?》(安部公房『終わりし道の標に』)/


(注)川崎殺傷事件:別名「川崎市登戸通り魔事件」。2019年5月28日、神奈川県川崎市多摩区登戸新町で発生した通り魔殺傷事件。結果として被害者のうち2人が死亡し、18人が負傷した。(Wikipediaより。)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 政治・歴史・経済・社会
感想投稿日 : 2021年8月12日
読了日 : 2021年8月12日
本棚登録日 : 2021年7月18日

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