デリダ論 (平凡社ライブラリー)

  • 平凡社 (2005年1月6日発売)
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感想 : 5
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アメリカにおけるデリダ紹介者であるスピヴァクによる「グラマトロジーについて」英訳版への長大な訳者序文の日本語訳。

アメリカでのデリダ理解のきっかけになった論文として有名とのことなので、「アメリカ人に分かるなら、きっと自分にも分かるに違いない」と偏見的な意識をもって、読む。

が、全然、分からない。

というか、スピヴァクさん、全然、分からせようという気はないな。だって、多分、英訳の1冊目の「グラマトロジーについて」の序文で、その後に出版されたさまざまな本の議論を引っ張ってきながら、論じているわけだから。。。

でも、現在、読むと70年代半ばころまでのデリダの主要な議論を踏まえた話になっているわけで、むしろ今の時点ではそれはデメリットではないはず。

にもかかわらず、分からないのは、「そんなの知っているでしょ」的な前提が限りなく多いから。つまり、ニーチェ、フロイト、ハイデッカー、フッサール、レヴィ・ストロース、ラカンについて、少なくともその主要著作は読んでいることが前提となる。

ニーチェを読むハイデッカーを読むデリダを読むスピヴァクを読む翻訳者の田尻氏を読む「私」という「読むこと」の重層性ということなんですね。で、途中、知らない人がいると何がなんだかなわけですよ。

でも、わけが分からないなりに、ここでは、そうした「読み」の実践がなされているのだなー、テクストに絶対的な意味なんかないんだー、的な感覚は味わえた。

翻訳は、そういう「読み」の問題が一番はっきりと現われるところで、先ほどのニーチェの読みの話でいえば、ドイツ語からフランス語、英語、日本語とその議論は翻訳されながらなされているというわけだ。

そういう感じで、複雑な脱構築の実践的な難解な文章を3分の2くらい我慢して読んでいると、最後のほうで、「脱構築宣言」というか、なんとなく華やいだ高揚感がでてきて、面白かった。

という爽快感を味わうためにも、前半は耐えなければならないのか。

こういう訳の分からない文章を読んで、デリダ理解をするアメリカ人って、いるんだー、と感心したが、訳者あとがきによると、当初はこの序文は、専門家の間でも"unreadable"という評価だったらしい。納得。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2017年4月30日
読了日 : 2009年2月21日
本棚登録日 : 2017年4月30日

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