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フェルメールと天才科学者 ローラ・J・スナイダー著
顕微鏡発明者との関係探る
2019/4/27付日本経済新聞 朝刊
著者の歴史学者スナイダーさんとニューヨークでお会いしたのは、4年ほど前のこと。私はソーホー地区のギャラリーでリクリエイト・フェルメール展を開催しようとしていた。天才画家フェルメールの全作品をデジタル技術で原色原寸大に再生し、一堂に展示する文化イベントだった。日本で好評を博し、米国でも紹介したのだ。
時間軸に沿って一挙にフェルメール作品を見ると、彼がいかに科学者的なマインドを持って対象を客体視し、いかに正確な遠近法を実現しようと研究に邁進(まいしん)していたのかが手に取るようにわかる。つまりフェルメールはある意味でサイエンティストだった。こんなことを実現できたのは彼が生きた17世紀という時代に秘密があった。
17世紀、フェルメールが生きたオランダの小都市デルフトは経済、文化、そして人々の世界的交差点だった。当時のオランダはスペインから独立を果たし、自由の機運に満ちあふれていた。東インド会社が設立され進取の気質が称揚されていた。科学の世界でもパラダイムシフトが起きていた。中世の宗教的世界観のくびきから知が解放され、新しい「目」がもたらされた。望遠鏡が宇宙の法則を探り、顕微鏡がミクロな小宇宙の扉を開いた。
フェルメールが生まれたのは1632年。日本でいえば江戸時代幕開けの頃、この同じ年、同じデルフトにもうひとりの天才が生まれた。それが本書のヒーロー、アントニ・レーウェンフックである。彼には教育も学歴もなかったが、持ち前の好奇心からアマチュアの科学者となり、独自の高性能顕微鏡を発明、細胞、微生物、精子など生物学史上画期的な発見をなした。そのすぐそばにフェルメールがいた。ふたりは知り合いだったに違いない、と著者も推測する。
光の科学、レンズの作用、遠近法を得るために使われた装置カメラ・オブスキュラなどはレーウェンフックがフェルメールにもたらした可能性がある。当時、科学と芸術は極めて近い場所にあった。本書は歴史学の視点から理系(科学)と文系(人文知)に橋をかける好著である。私たちは自分を文系・理系と限定せず、自在に知の往還をすべきである。それが教養の本質である。
《評》生物学者
福岡 伸一
原題=Eye of the Beholder
(黒木章人訳、原書房・3800円)
▼著者は米国の歴史家・哲学者・作家で、元国際哲学史学会会長。
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- 感想投稿日 : 2019年7月12日
- 本棚登録日 : 2019年7月12日
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