いま、兜太は

著者 :
制作 : 青木健 
  • 岩波書店 (2016年12月16日発売)
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4

 巻頭1/3には,金子兜太の自選自解の108句が掲載されています。以前の作品も最近の作品もあるようです。
 中盤には,編者青木健氏による兜太へのインタビュー記事。「わが俳句の原風景」と題してまとめられています。
 ここで,兜太は,
「俳句の作り方がどうだとか,いろんなところに書いていたんだけど,究極して…(中略)…やっぱり俺は映像を一生懸命に書いているんだ。」
と述べています。「俳句を作るというのは,映像に尽きるんじゃないかと自分で気づいた」と言ってます。
 本書のあと半分は,10人の俳人たちによる「兜太論」です。それぞれが短くて,各著者がこだわる論点もハッキリしていて読みやすいです。

 嵐山光三郎氏曰く
「金子さんは野生の人である。なまなましく生きて,句にケダモノ感覚がある。句にぶんなぐられるが,気分がいい。句から格闘の汗が飛びちる。煩悩と五欲兼備で生きているのが人間だから,体内にひそむケダモノを飼いならして俳句をつくる。洗練を嫌い,自由である。」(本書92p)

宇多喜代子氏曰く
「俳句を読む際に,儀礼のように季語の解釈,作者の境遇,テニヲハだの文法だのという類のことから入ってゆく向きがあるが,金子作品を前にしてこうした入り方をしようとすると,まず混乱を生む。作品世界を大きくとらえて納得するほうが面白い。」(103p)

「虚子以後,多くの実作者以外の生活人たちにまで俳句を伝える役を果たしている筆頭は,まちがいなく俳人金子兜太である。前衛と呼ばれた時代を経たのちに提唱した「古きよきものに現代を生かす」はわかりやすく,俳句は「芸術の詩であり大衆の詩」であるという二段構えのメッセージも近しいものを感じさせる。」(107p)

 俳句が客観写生・花鳥諷詠だけに留まっていたのでは,「私に関係ないヤン」と思う人たちがたくさんいるでしょう。私もその一人でした。「俳句なんて,どうせ,四季の移ろいに敏感で詩心があって昔の言葉や難しい言葉が大好きな物好きの世界だろう」くらいに思っていた私。そんな私という生活人にまで迫ってくる力が兜太の俳句にはあります。だからこそ,彼の作品や生き方に興味が出てきてこんな本を読んでいるのです。

カッパ・ブックスから『今日の俳句』(1965年)が出版された当時を思い出して…齋藤愼爾氏曰く
「兜太の本の帯が「古池の〈わび〉より,ダムの〈感動〉へ」というもので,これには痺れた。自体,十七文字になっている。衝撃度は私的には桑原武夫の「第二芸術」論を上廻った。「わび(侘び)・さび(寂び)」は,蕉風俳諧の理念である。惹句の意は,閑寂な境地とか洗練された情緒何ものぞ,濁りに濁った古池を捨て,満満と水をたたえたダムの壮観を想えとの煽動だろう。」(114p)

 川柳と俳句については,蜂飼耳氏,引用して曰く
「〈たとえば「ハナミズキ」という季語と「国会前」という言葉を区別せず,自由に使えばいいのです。川柳は徹底して,社会的事語しか取り上げません。〉〈「季語でなければダメ」などと縛りをかけてしまうと,かえって詩をやせさせてしまうのです。〉季語を軽んじているわけではなく,季語と同じように社会現象などを含む「事語」を入れてよいという考え方。人間と社会の関係や相克から俳句を考えてきた金子兜太の実感がこもっている。」(150p)

興味深い論文がいっぱいの本でした。俳句のシロウトである私にも読めました。

 湯田中温泉にある一茶ゆかりの宿「湯本」にも行ってみたいな。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 短詩形文学
感想投稿日 : 2018年3月18日
読了日 : 2018年3月18日
本棚登録日 : 2018年3月18日

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