『ラプソディ・イン・ブルー』はアメリカの作曲家ガーシュインの代表作。
『のだめカンタービレ』エンディングに流れていましたが、とても印象的なのはその曲の途中が使われたこの部分。
https://www.youtube.com/watch?v=mhUJpg3-v7Iこちらの2:10から。いいですねぇ。
私はこの部分、ロシアの抒情的な様子をあらわしているのではないかと思っていたのですが、この本のどこにもそんなことは書かれていませんでした…。
ガーシュインの父がポグロムでアメリカに移り、そのニューヨークで生まれたのがガーシュイン。
前に漫画家ヤマザキマリさんの息子さんが「僕はイタリアではイタリア人じゃない、日本では日本人じゃないといわれる」みたいなことを言われていたのを思い出しました。
『ラプソディ・イン・ブルー』はジャズ側から見るとジャズとはいえないし、クラシック側からはクラシックではないということではないでしょうか。
そして、彼がユダヤ人であることが実は重要。
私はユダヤ音楽って知らないけど、そういえばポグロムを扱った『屋根の上のバイオリン弾き』で結婚式のとき『サンライズサンセット』という曲がながれるのですが、すごく悲しそうなのは、それと関係あるのかしら?
●ガーシュイン音楽を、肯定的に捉えるにしろ、否定的に捉えるにしろ、ジャズ一辺倒の立場から、ジャズ・アイデンティティの欠落を指摘し、ジャズでないと決めつけることも、またクラシック一辺倒の立場から、これはクラシックではないと決めつける、ジャズやポップス、あるいはミュージカルの方に押し付けるやり方も間違っている。それをユダヤ的アイデンティティといえばいいのか、ジャズでもなく、クラシックでもなく、ミュージカルでもなく、またそれらのすべてにクロスオーバーしている、いわば確固としたアイデンティティの不在のなかにこそ、ガーシュイン音楽の本質が宿っている。そして、この「確固としたアイデンティティの不在」こそが、ガーシュイン音楽の今日性を証明しているのである。にもかかわらず、「ジャズ・エイジ」のエースとか、アメリカ国民音楽を代表する大作曲家などなど、ガーシュインが39歳の若さで夭逝し、さらにアメリカがクラシック音楽文化の受容・発展において後発国だったこともあって、ガーシュインは、アメリカ国民音楽を代表する大作曲家に祭り上げられてしまった。ガーシュイン最大の不幸がそこにあった。
- 感想投稿日 : 2018年4月2日
- 読了日 : 2016年11月21日
- 本棚登録日 : 2016年11月21日
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