哲学入門: 新訳 (現代教養文庫 50)

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(2005.10.05読了)(2000.09.30購入)
1910年から1912年にかけて「プリンキピア・マテマティカ」(数学原理)第1巻から第3巻まで出版している。この本は、1912年に出版されているので、「数学原理」が一段落したところで、書かれたということになる。
バートランド・ラッセルの名は、反戦・平和運動家、反核運動家として知られているのかもしれない。第1次大戦の頃から反戦運動を行い投獄されたりしている。それを第2次大戦後も続けているのだから筋金入りということになる。
大学で数学を専攻し、その後、論理学や数学基礎論をやり、その結果を「数学原理」にまとめ、その後は、哲学、社会運動のほうへと向かってしまった。
抽象的な世界よりは、具体的な人間の生活のあり方への関心のほうが強かったということなのでしょう。

この本は、150頁ほどで15章に分かれていますので、1章当り10頁ほどです。とっつきやすくなっています。でも、小説のように読めるわけではありません。
哲学というのは、普段われわれが、ごく当たり前に思っていることを覆してしまうので、何が言いたいのか分からなくなってしまいます。
われわれが眼に見たり、耳で聞いたりしていることに対して、なんとなく他の人も同じように見たり、同じように聴いていると思っていますが、ほんとにそうなのかといわれると、他人に成る事はできないので、確認しようがありません。
赤や青の色がぼくが見てるように他の人も見てるかというと疑わしい。同じ人間だから、そうに違いないと思うしかない。ついでに、他の動物まで広げてしまうほどである。でも他の動物は、見る仕組や聴く仕組が違うといわれると、なるほどとは思うけど、ではどんな風に聞こえたり見えたりするかというと、皆目見当が付かない。
哲学にもいろんな分野があるのだろうけれど、この辺は基本になる認識論の部分なのだろう。確かなものは何かというところをつめていって、デカルトは、我思う、ゆえに我ありと結論した。
●哲学の価値(161頁)
真の哲学的思索は、非我のすべての拡大に、思索の対象と同時に思索する主体を偉大にするすべてのものに、満足を見出します。思索においては、個人的ないし私的な一切のもの、習慣や私利もしくは欲求に依存する一切のものが対象をゆがめ、そのために知性が求める合一を損ないます。自由な知性は、神が見るように事物を見ます。つまりそれは、ここと今なしに、希望も懸念もなく、習慣的信念や伝統的偏見に捉われず、平静かつ冷徹に、ただひたすら知識を求めて事物を見ます。
●推奨する著作(どれもまだ読んだことがありません)
プラトン「国家」、デカルト「省察」、スピノザ「倫理学」、ライプニッツ「単子論」、バークリー「ハイラスとフィロナウスの三つの対象」、ヒューム「人間悟性に関する研究」、カント「将来のすべての形而上学への序説」
(岩波文庫、中公クラシックスに幾つかあるようです。)

著者 バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル
1872年5月18日 イギリス、ウェールズ、トレレック生まれ
2歳で母を4歳で父を失った。
1890年(18歳) ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学、数学を専攻
1894年(22歳) ケンブリッジ大学卒業
1899年(27歳) ケンブリッジ大学講師
1914年(42歳) 第1次世界大戦勃発、反戦運動を展開
1938年(66歳) シカゴ大学客員教授・渡米
1950年 ノーベル文学賞受賞
1970年2月2日 死去

(「BOOK」データベースより)amazon
「理性的な人なら誰にも疑えない、それほど確実な知識などあるのだろうか」。この書き出しで始まる本書は、近代哲学が繰りかえし取り組んできた諸問題を、これ以上なく明確に論じたものである。ここでは、分析的な態度を徹底しつつ、人間が直接認識しうる知識からそれを敷衍する手段を検討し、さらには哲学の限界やその価値までが語られていく。それはまさしく、20世紀哲学の主流をなす分析哲学の出発点でもあり、かつ、その将来を予見するものであったともいえよう。今日も読みつがれる哲学入門書の最高傑作。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 思想
感想投稿日 : 2010年2月7日
読了日 : 2005年10月5日
本棚登録日 : 2005年10月5日

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