司法が凶器に変わるとき

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  • 同時代社 (2015年3月25日発売)
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感想 : 2
5

 2008年、千葉県東金市の住宅街の路上で、5歳の女の子の全裸死体が発見される。2か月後、近所に住む21歳の、知的障がいのある男K(本書では実名)が逮捕される。彼はやがて犯行を自供するが、彼を犯人とするには、いくつも不自然な点があった。
 まず、Kは被害者の女児を路上で拉致し、自宅へ連れんだとされているが、拉致現場から自宅までの住宅街、330メートルの距離を、昼の12時半頃、足をバタバタさせて抵抗する女児を抱えて歩く男を確かに目撃した者がいない。また、弁護団が実験したところ、体重18キロの被害者を抱えて330メートル歩くのは普通の体力では困難であり、ましてKは平均的な男性よりかなり運動能力劣っていて、非力であった。
 拉致後、Kの自宅でアニメや特撮の話をしていたとのことだが、誘拐された子が、誘拐者と和やかに話しているのが不自然である。そしてその後、バカ呼ばわりされ「暴走モード」(エヴァンゲリオンで覚えた言葉とのこと)に入ったKは、被害者を浴槽に沈め殺害したとされるが、浴室で収集した600本の毛髪の中に、被害者のものは1本もなく、また、Kの自宅から被害者の指紋は検出されていない。
 殺害後女児を裸にし、「としゃぶつをふいた」とKが供述したとのことだが、Kの日常語彙に「吐瀉物」があるとは、大変考えにくい。そして被害者の服や靴をレジ袋に入れ、窓から放り投げたことになっているが、レジ袋は駐車中の車の下の、放り投げただけでは決して行きつかない場所から発見されている。
 更に、そのレジ袋にKの指紋が付着していた件だが、弁護側の鑑定では、指紋はKのものとは一致しなかった。そもそも、濡れた手でレジ袋に触れても指紋はつかない。
 そして、全裸の女児を抱えて、住宅街を100メートル歩き、死体を遺棄したことになっているが、これも確たる目撃者はいない。
 Kが路上で女児に声をかけ、遺体遺棄に至るまでは約40分とされるが、それは不可能ではないか。
 以上のようなことから、弁護人は当初、Kは事件とは無関係だと判断した。だとすれば、Kはなぜ「自供」したのか。取り調べで、供述書を作成する段階で、何らかの操作があったのではないか。Kが知的障がい者であることは、どのように関わっているのか、或いは、どう利用されたのか。この事件の最大の関心事はそこにあった。
 ところが、無実を主張する記者会見まで開いた弁護人は、3が月後、明確な理由を公表せず突如辞任、後任の弁護人は無実を撤回し、訴訟能力や責任能力の欠如を軸に弁護を展開することになる。結局Kは、検察の懲役20年の求刑に対し、懲役15年が言い渡される。
 本書の特筆すべき点は、裁判を傍聴した著者が、法廷でのKの証言を再現しているところである。Kが実際に発した言葉からは、証言の要約ではわからないだろうことが、明確に伝わってくる。著者はKの言葉のたどたどしさを表現するためと但し書きをつけたうえで、Kの発言をひらがなで表記している。これには異論があるかもしれないが、「母親です」と「ははおやです」は、確かに読む際の印象は大きく異なる。ひらがな表記の方が証言の様子を正確に伝えられると著者が判断したのであれば、これでよかった気がする。
 書名からわかるように、著者はこの事件を冤罪と考え、「彼の裁判そのものがもう一つの事件ではなかったか」と述べている。これが本書の主張であるが、Kの証言が曖昧なため、事件の真相は明確にはならない。それでも本書は、知的障がい者の取り調べ、裁判について、重要なことに気づかせてくれるすぐれた書である。同じ事件を扱った「知的障害と裁き」(佐藤幹夫)との併読をおすすめする。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ノンフィクション 社会
感想投稿日 : 2018年8月15日
読了日 : 2018年8月15日
本棚登録日 : 2018年8月15日

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