容疑者 (創元推理文庫)

  • 東京創元社 (2014年9月20日発売)
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感想 : 65
5

犬好きは熱くなる。犬好きじゃなくても熱くなる小説。

アフガニスタンで戦闘に巻き込まれ、相棒の兵士・ピートを喪い、自らも銃撃を受けた軍用犬のマギー。パトロール中に銃撃事件に遭遇し、マギーと同じように相棒のステファニーを喪い、自らも重傷を負った刑事のスコット。
心身共に大きな傷を負った一人と一匹の絆と再生を、緊迫感溢れる事件の様相と共に描いていくミステリーです。

冒頭からなかなかにたまらない書き出し……

銃撃戦に巻き込まれピートが倒れ、マギー自身も撃たれてしまうのに、それでもマギーはピートを元気づけようと顔を舐め続ける。しかし、ピートの体温は次第に冷たくなっていき……

さらにスゴいのが、この場面を犬であるマギーの内面と共に描いていること。

動物が語り手になる小説というと、宮部みゆきさんの『パーフェクト・ブルー』であったり、有川浩さんの『旅猫レポート』が思い浮かぶのですが、その二作以上にこの小説は、犬であるマギーの内面に踏み込んでいく印象。

それも動物の内面を単に擬人化して描くのではなく、マギーが感じる匂いや感覚を媒介に、読者をマギーの内面と同調させていきます。この描写は圧巻の一言!

作中で説明されているけど、マギーの嗅覚は人間の一万倍近くあり、その嗅覚を頼りに様々な判断を下します。そしてそれはパートナーの感情を理解することにもつながる。
人間は緊張したり不安になったり、あるいはリラックスしているときなど、そのときの感情に応じて、目には見えない発汗量などが変わり、体臭もごくわずかに変化します。
マギーはその臭いを嗅ぎ分け、スコットに寄り添っていく。

その嗅覚の描写がとても丁寧かつ、真に迫っている描写がなされるから、マギーとスコットが徐々に精神をリンクさせていく感覚が、下手に言葉や文章、描写を重ねるよりも、何十倍もリアルに感じられる。

マギーの内面を描く描写は、作中で何回か出てくるのですが、その場面ごとにマギーの穏やかな感情、興奮した感情、そしてスコットを相棒と認めていく感情が感覚を通してより伝わってくる。
おそらく生涯で、これ以上に動物の内面を的確に描く作品とは会えない気がします。

マギーとスコット、互いに銃で撃たれた後遺症を引きずり、それはPTSDに近い症状も引き起こします。夜毎悪夢にうなされるスコット。そして発砲音のような大きな音がするたび固まってしまうマギー。これは警察犬には致命的な弱点。

そのためマギーは警察犬には向かない、矯正のしようがない、と当初は評されます。しかしマギーに自分を重ね合わせたスコットは、マギーを自分に任せてほしいと頼み込む。

スコットはステファニーに関しても大きな悔いを抱えています。それは助けを呼ぶためとはいえ、「置いていかないで」と叫ぶステファニーを、置き去りにしてしまったこと。だからこそ、最後まで相棒のそばにいたマギーにより強い感情を抱く。このドラマ性といったらない!

スコットが襲われた事件の捜査が続く傍らで、マギーのトラウマを克服する様子も描かれます。
大きな音がする度にスコットはマギーを優しくなでて、声をかけたり、好物のソーセージを与えたりして、大きな音が呼び覚ます、辛く苦しい記憶を楽しい記憶で塗りかえようとします。

そしてスコットは大きな音がする工事現場に、マギーと共に足を向け、マギーを落ち着かせつつ、そこの作業員や、ホットドックの売り子とも、穏やかに言葉を交わす。

そんな過程を経て、事件後、孤独を極めていたスコットも、徐々に穏やかな感情を取り戻していき、そしてマギーの警察犬としての能力にも信頼を寄せていく。
この日常の穏やかな描写もいいし、マギーとスコットを厳しく指導しつつも、しっかりと支える警察犬隊の同僚や上司の刑事のキャラも良い。

スコットとマギーが絆を深めていく描写、スコットのマギーに対する声かけであったり、マギーの行動であったり、それら一つ一つが本当に丁寧! だからこそ、この一人と一匹の行く末を、見守っているような気持ちになっていきます。

そして、スコットが襲撃された事件も新たな展開が見られていく。事件の真相に迫っていくのに、マギーの嗅覚がちゃんと生かされているのも、ストーリーとしてよく出来ている。
そして終盤孤立無援の状況に立たされるスコットに、クライマックスの銃撃戦と、王道の展開を押さえつつ、盛り上がりのポイントもしっかりと読ませます。

自分は特別犬好きというわけでもないですが、この『容疑者』を読み終えた後だと犬に対する感情は、大きく変わったように感じます。多くの人は「犬っていいなあ」と思うのではないかな。

一人と一匹の再生を優しくも熱く描いた『容疑者』。動物が登場する小説の中でも、屈指の傑作です。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ミステリー・サスペンス
感想投稿日 : 2020年10月7日
読了日 : 2020年10月6日
本棚登録日 : 2020年10月6日

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