初版1989年、増補1996年、文庫化2012年。
クラシックの演奏会の、現在の聴取マナーのようなものや「楽聖」等の神話化が出来ていったプロセスを、19世紀の演奏会の歴史に沿って明かしていくのが最初の方。
それから20世紀になって自動ピアノとか複製、カタログ文化、商業主義などが目立っていき、いよいよポストモダン期に至って「軽やかな聴取」が席捲する、という点を著者は強調する。
何と言ってもボードリヤールのケレン味ある思想に興奮していた、日本80年代のポストモダン期である。その文脈で見ればこんな考え方にもなるかなという感じだった。
96年の増補版で加えられた補章では、本文をものの見事に相対化し、「今の考え方は違う」と転向してしまっている。バブルがはじめて不況が到来し、日本は新しい、暗い時代に突入したのである。
このように、面白くはあっても、本書のパースペクティヴは「あの時代のもの」という限定を付けざるを得ない。それでも、なかなか興味深い指摘もあってそれらは一概に無効とは言えないと思えるし、結論や描く将来像に古さはあってもその前段階の分析は有効であるという気がする。
そんな部分については、なかなか参考になる本だ。私の言葉で言えば、19世紀ヨーロッパのベートーヴェン崇拝は確かに「権力」そのものであったし、権力であるからには、外部を除去するためには暴力も活用したのである。
その権力を否定し身を反転させようとしたのが20世紀であったが、ある程度ポストモダンの勢いが減退したとはいえ、古い権力がそのままで復活するなんていうことは無い。知の権力に対して経済の権力こそが現在もっとも凄まじいのだが、我々は権力による暴力や疎外に屈することなく、一人一人の生命を全うしなければならない。出口は個人の中にしかないのかもしれない。
- 感想投稿日 : 2023年9月14日
- 読了日 : 2023年9月11日
- 本棚登録日 : 2023年9月11日
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