No One Belongs Here More Than You

著者 :
  • Canongate Books (2011年2月1日発売)
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感想 : 4
5

『This wasn't my problem; I had never been in love with anyone, dead or alive. But this is an example of the type of problem that men like me have, sizable. We are often introduced to people's sisters. Sisters come in all ages; this took me a while to realize.』-『The Sisters』

こっこれがっ岸本佐知子の次回作か(いやいや翻訳ですよ)。恐らく岸本佐知子好きの(いやいや翻訳好きでしょう)ならば納得の選択だと思うに違いない("These customers became regulars, and these regulars became stalkers" - "Something That Needs Nothing")。多分この短篇集はこの順番のまま出版されるんでしょうね。だってDaily Telegraphが言うように、ここに収められているお話は"swing from laugh-out-loud funny to heart-clenchingly sad"で(しかし上手いこと言いますね)だし、しかもfunny-sadの順番でなければどちらも意味をつかみ損ねてしまうから。

岸本佐知子が翻訳するということで一風変わった作風なのだろうということは予想していいたけれど、ミランダ・ジュライという人は、ともすれば人が無かったことにしたがるような「気まずさ」を捉えるのがうまい、と思う。そこに人間の本性があることを見逃さない、といってもいい。そういう意味ではニコルソン・ベーカーの「中二階」に通じるところがある。特に冒頭に置かれている『The Shared Patio』はベーカー風だと感じる。

気まずさをどこまでも引きずって何とか言い訳をしようと妄想に入っていく。あれ、どこかで知っているぞこの感覚、と思ったら岸本佐知子のエッセイの妙にそっくりだ。きっと翻訳も面白くなるだろうなあ、と期待が高まる。

しかしそういう話ばかりなのかと思って読み進めると、少しずつ、ん?、と思うことが増えてくる。元々アイロニカルなユーモアがあるので、頭の切り替えが中々できないのだけれど、後半に向かってユーモアはペーソスに変化してゆく。アイロニーは心に思っていることと逆のことを敢えてしてしまう反心理的な行動という意味合いを強くする。自分自身さえも騙さなければならない悲劇的状況、というニュアンスが濃くなる。

言ってみれば、幕の裏に引っ込んだ後のピエロを描くペーソス。ピエロは肩を落として小さな足台に腰を下ろすだろう。煙草を一服しようと口にくわえた途端マネージャに小言を言われるだろう。ようやく小言が済んで再び腰を下ろし、ため息をついたりもするだろう。しかし、顔には白いドーランと、いつでも笑い顔の隈取りが張り付いたまま。そんな悲哀をミランダ・ジュライはするどく描く。そうだ、まさにするどく。人が見たくないと思いつつ目を背けられもしないどろどろとした人間の本性を、容赦なく描く。ああ、翻訳が速く読みたい。

『Well, I always wear shoes around the house for a few days first. That way I can still return them if they're uncomfortable. That's a great tip. Everyone should do that. People love to make life harder than it has to be. I know I do.』-『Mon Plaisir』

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2010年4月25日
読了日 : 2010年4月25日
本棚登録日 : 2010年4月25日

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