僕の虹、君の星: ときめきと切なさの21の物語 (マーブルブックス)

  • マーブルトロン (2010年8月1日発売)
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感想 : 9
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『にもかかわらずそうした人々に出会いながら、ふとした心ない行動でどれだけの人々を僕は傷つけてしまっているのだろうか。仮にその罪に気がついたとしても、僕はその人々につぐなう機会があるのだろうか。僕や周りの人々の意識に関係なく、時は休むことなく、1秒1秒その人の人生の上に降り積もっているのだから』-『1970年、20歳の夢』

余りにカッコよくて、気取っていやがらあ、と揶揄したくなる一面は、ある。本当は濁っていたはずの泥水をコップに入れてしばらく置いたのち、表面の透き通った上澄みだけを掬いとっているだけのようにも思え、底に沈んだ澱のことはどうなったのか、と反発したい気持ちが沸かないでもない。しかし、文章と一緒に刷り込まれた写真は、確かに目を奪われて見入ってしまうほどに魅力的で、それらの言葉を口にすることを封印する力がある。反発する心は和らいでゆく。

ハービー・山口の書くのは、もっぱらある種の孤独ということであって、その孤独には自分も身覚えがある。ロンドンでサンドウィッチを苦労して買った時の気持ち、あちら側から張られてしまうバリアや、自分がいつの間にか張っているバリアに気付いた時。大勢の人々の居る中での孤独。その閉ざされたと勝手に思ってしまっている空間の中の一点から、思いがけずに広がる、つながり。世界の大きさと、その中に存在している人間のちっぽけなこと。そしてその小ささが教えてくれる彼我の差のたわいなさ。違いはその段差に指をなぞらせて必死に感じようと神経を研ぎ澄ませば幾らでも顕かとなり、世界の大きさに意識を戻せばあっという間に見えなくなる。

ああ、自分もあの時そうだった。
そして、随分と小さなことに大きな喜びを感じていた。
それは案外と愛おしい記憶。

著者の言うとおり、写真も文章も、その一瞬を切り取る作業。でも切り取っているのは、切り取ったと思っている筈の世界の瞬間の表情ではなく、その時の自分の中の心情。結局は世界の大きさも人間の小ささも、自らの脳の中に収まっているイメージなのだから。そこに輝きを見い出すのも、また、自分自身。愛おしさの根っこはナルシシズム。

しかし時として人は幸運に恵まれ、閉ざされている筈の頭の中のイメージが、実態の世界と活き活きと通じ合う瞬間に出会う。その瞬間を写真家は逃さない。写し撮る。頭の中にではなく、カメラのフィルムに。世界のイメージだけではなく、その結びつきに巡り合ったという幸せな気分も一緒に、印画紙の上に封じ込める。だから、彼の写真も文章も、読むものの中にある忘れかけていたその瞬間を呼び覚ます。カッコよすぎる、等と言い繕って自分の照れを誤魔化してはいけない。脳を開いて世界とつながれば、よい。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2010年10月8日
読了日 : -
本棚登録日 : 2010年10月8日

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