他人の世話になって暮らすということは家族が想像する以上に寂しいことだ。
安心して最後まで暮らせる場所に入れただけでは、人は幸せにはなれない。
老人は老人が嫌いだ
どんなに気に入って入居した有料老人ホームでも、自らを奮い立たせないと、心は癒やされるものではない。
自分の孤独は自分で癒やすのが定年男性の努め
人ほど面倒なものは無い。切ない身内という人間関係ほどしんどいものはない、せっかくの独り身なのだから、ひとり、自由に生きよ。
人を求めずに、自分が好きなことに没頭すれば、寂しいという感情はわかなくなる。
老いてこそ、ひとりだからこそ、やれることは沢山ある。人に求めるのをやめて、自分の内なる世界に目を向け、至福の老後を送りたい。
人は、緊急時の安心のために生きているのではなく、生きている間の暮らしを楽しむために生きている。幸せとは、誰かがいることでも、誰かと心が通じていることでもなく、ひとりの時間を満喫できることではないか。
自分で不安と思っている限り、不安は追いかけてくる。老後不安は備えるのではなく、老後と思わないことがセコムより大事なこと。関心を好きなことに変えることで、不安から開放される。
元気なときは人はいらないが、病気のときは人の世話になりたいとおもうのはいいが、冷静に考えてみると、あまりにも自己中心な考え方ではないか。
どんなものにも良い面と悪い面がある。
ひとりの良い面は自由であること、悪い面は世話をしてくれる人がいないこと。その両方を持ち合わせているのがひとりだ。だから、口が裂けても誰もいなくて不安などと弱音は吐いてはいけない。病気のときこそ一人に限る。弱っている自分を他人に見せなくて済むから。
自宅でも病院でも静かに闘病出来ること。病気こそひとりは最高、元気になってから人と会えばいい。
楽しく生きてきたちょっと先に認知症エリアがある。
年とともに、しがらみが少ないほうが精神的に楽に生きられる。
誰にも邪魔されず、人に気を遣わずに済む自分だけの静かな時間。これを至福の時間と言わずなんと言おうか、薄い関係の友達ならいつでもできる。軽い付き合いの人が何人かいればそれでよしと思うことが、孤独を謳歌するコツ。
- 感想投稿日 : 2021年5月16日
- 読了日 : 2021年5月16日
- 本棚登録日 : 2021年5月16日
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