屠場

著者 :
  • 平凡社 (2011年3月12日発売)
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感想 : 23

大阪松原の旧屠場(=屠殺場、食肉処理場)を中心としたモノクロ写真集である。
現在、屠場は建て替えられて分業化が進み、工場のようにコンベアで運ばれる牛を解体していく形が取られているという。
旧屠場では、熟練集団が手作業で解体を進めていた。その技術員たちは、生物を食肉に変えていく現場で働いてきた。大柄な牛を扱う作業は重労働である。牛が暴れることもあり、鋭利な刃物を使う作業でもあり、大きな危険も伴う。
さらに作業に当たる彼らは、作業所を出れば、差別の対象となる部落の住民でもあった。

著者の前書きの後、重厚なモノクロの写真が続く。
雄弁なモノクロ写真を、まずは生で受け止めて欲しいということか、途中には解説は一切入らない。牛であったものが肉塊となり、屠場が清掃されてまた明日を待つ姿まで辿り着いて、巻末の写真解説を参照しながら、もう一度見直す。

屠場へと引き出される牛の中には危険を察知して抗ったり、へたり込んでしまうものもいる。脳に鉄棒を撃ち込む特殊な銃で意識を奪い、素早く放血させる。
皮を剥ぎ、内臓を抜き、背割りをする。こうして、セリに出される枝肉が出来上がる。
一連の作業は、迅速に適確に行わなければならない。作業員の安全のためという意味もあるし、肉の味にも関わるからだ。
動物の体温で、屠場の空気は冬でも湯気が立つほど熱気に包まれる。
苛酷な労働環境の中、作業に当たる彼らにはある種の誇りがみなぎる。
それは、命と向き合い、時には自らの命も危険にさらしながら日々を送る人のみが知るものなのかもしれない。

最後に作家の鎌田慧と部落解放同盟の吉田明の解説が収録される。
日本の屠場にカメラが入ることはなかなか難しかったのだという。それは作業員の大半が部落出身者で、差別を受ける職場であり、顔を出すことを嫌がる人も多かったからだ。そこに入り込み、特に旧屠場での、人の労働力に頼る形の解体を記録できたことは、著者の人柄に負うところが大きいようだ。
解説を読んでまた写真を見直す。
形状の多様な刃物。「少し前までは牛だった」吊される肉。ケース一杯の内臓。壁に残る牛の蹴り跡。牛たちが残した鼻木の紐の山。
残酷にも見えるが、肉を食う、ということはこういうことなのだ。

かつて著者は子供時代、戦後の厳しい時期に、家で鶏の群れを飼っていたという。卵で栄養を取るためだが、卵を産まなくなった雌鶏、増えすぎた雄鶏もときに、家族のタンパク源となった。鶏を絞める際、餌係として鶏たちをかわいがっていた著者を、父親は必ず立ち会わせた。特別に著者に与えられる2つの手羽先に肉が少しでも残っていると、「しっかり食べてあげなさい」と諭されたという。
肉を食う、ということはそういうことなのだ。

屠畜を被差別部落の人たちが担っていたということ、他者の命の上に自分の命をつなぐということ、さまざま考えさせる静かで雄弁な写真集である。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 写真集
感想投稿日 : 2016年7月9日
読了日 : 2016年7月9日
本棚登録日 : 2016年7月9日

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