映画が映画であった幸福な時代。ゴダールにとっては、アンナ・カリーナとの蜜月。
私は私だ。映画は映画だ。同語反復こそ、自己肯定であり、幸福そのもの。
ゴダールはアンナ・カリーナとの離婚後、単なる映画であることに飽き足らず、方法としての映画を追求することになる。つまり、幸福な時代は終わりを迎える。それにつれて、ゴダールは人間を離れ、孤独な神に近づいていく。
よく似た名前のアンヌ(アンナ)・ヴィアゼムスキーが第2の妻になろうが、もはやゴダールは以前のゴダールではありえない。
本作はそんな、失われた時を求めて、ゴダールがもっとも幸福だった時代に焦点をあてている。
本作の著者のように、明確な立場を決めなければ、ゴダールは論じられない。ゴダールのペースに巻き込まれて考えていては、彼が死ぬまで答えはでない。でも死んでほしくはない。それに、死んでしまったあとでは遅い。
そうした意味でも、この抑制の効いたゴダールに対する反抗の書は、非情に意義のあるものだと思う。ぜひとも、明快であるからこそ、ゴダール本人に読んでほしい。きっとある種の不快感や動揺を感じることだろう。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
映画
- 感想投稿日 : 2013年7月20日
- 読了日 : 2013年7月20日
- 本棚登録日 : 2013年7月2日
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