2003年刊。上下巻の上巻。
著者は国立民族学博物館名誉教授。
いわゆる日本文化の基底を「照葉樹林文化」と見て独特の論を展開してきた著者が、柳田國男の(南からの)「海上の道」をリライトしようとした著である。
勿論、現代において、柳田説は考古学的知見に依拠できず、説得力が乏しいという前提は否定できず、リライトといえ彼の説と内容は違う。
加え、本書を見ると、南西諸島と本土との共通部分よりも、その差異が目につく。
いわゆる水田耕作を基軸とする本土に比し、冬作・雑穀栽培・サトイモ等の栽培重視という点で、南西諸島は東南アジア島嶼、マレー半島との近縁性が見て取れるのだ。
そして、南からの文化伝搬は台湾を経由したものとみられる。
一方、南西諸島と本土との境界線と目される場所はどこか。両者の断絶は奄美以南とそれより北のラインが最も大きい。
もっとも、かかる文化的断絶は、両地域の交流の不存在を意味するわけではない。文化が違えば、文物は違い、それらを交換するための交流は、活発であったとみるべきであろう。
そして、その最たるものとして、熱帯ジャポニカと言われる稲種が挙げられる。
元来インディカ・ジャポニカで区別された稲の種のうち、ゲノム解析の結果、後者の中でも熱帯ジャポニカと、温帯ジャポニカとに区分けされることが判明した。
かつ、日本で栽培されていた温帯ジャポニカは自然交配ではなく、人為的品種改良により熱帯ジャポニカと交配させられ、結果、その他の種より寒冷に強い品種が生まれたということが判りかけてきたのだ。
これが、近時、青森県などで弥生初期の水田遺構が発掘され、そこにあった植物遺跡から判明した事実から得られた解釈である。
確かに、南西諸島との文化的断絶は大きいが、文物の流入、就中、米の本土全域への伝搬に果たした熱帯ジャポニカ流入の価値は減じることはないのだ。
- 感想投稿日 : 2016年12月16日
- 読了日 : 2016年7月26日
- 本棚登録日 : 2016年7月26日
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