■三億円事件がなくても成り立つストーリー。それだと個人的すぎ? フックとして入れた?
■白田のよりも好み 語りの前提がこっちは最初から小説、白田は告白なのだがなんだかやけに小説ふう、という違いも大きい。
[『府中三億円事件を計画・実行したのは私です。』のレビュー 白田 (Rocketman3さん) - ブクログ](https://booklog.jp/users/rocketman3-55/archives/1/4591161269)
■なにより犯人が女子高生という着眼点が秀逸ではないか。白田は当然これも読んでただろう。そのうえであれを書いたとなるとこれをどう思ったんだろうか?
■みすずは何も手に入れられなかった。お金も、兄も、母も、岸も。最終章が全ては消えゆく、喪失の物語。初恋だってかなわないから初恋なのかもしれない。
■記憶が塗り替えられつつある、だから書き記したのかも。記憶は甘くほろ苦く書き換えられる。事実はともかくとして思考や感情はとくに。それは初恋の思い出もそうではないか。
■あの時代の青春、新宿の匂い、現在を捨てて未来と過去を手に入れる。その現在であった青春を書き残しておきたかったのだろう。
最後に一気に1990年になる。彼女はたぶんひとりのままだろう。岸も死んだのだろう。岸の思い出も泡沫にしようとしていた。事件のことはさらに小さなことなんだろう。
■事件を描こうとしたわけではない。事前に似たような事件があったなど、白田のほうはそういう事実をも取り込んでの告白としているのに対して、こちらはあくまでも初恋を描くための素材のひとつというか、そこまで精緻に事件を取り込もうという感じがしない。白田は当然これを読んでいただろう。どう思ってあの小説に至ったのか。残念ながらレベルが違うぞ。
■白田が書きたかったのは三億円事件。中原みすずが書きたかったのは三億円事件ではない。ここが大きな違い。
■お互いに好意を持ちながらもそれを表に出さず内に秘めた想いというのがよい。初恋らしい。ハッピーエンドではないところがまた切なくて良い。初恋らしい。
■くちづけどころか手をつないだ描写もなかったような。
■作者はもしかしたら別名で別の作品を書いているかもしれない。だが、この作品は「これ一作だけ」としたかったのではないか。そういう小説だと思う。
■何に惹きつけられているのか。読む前に評価の高い作品であることを知ってしまったからか。読むかどうかの判断材料としてAmazonレビューの星を参考にするが、それは余計な先入観をもつことにもなってしまう。
■映画も見ようかな。アマプラにあった。
■しばらくしたら再読しよう。
- 感想投稿日 : 2022年3月1日
- 読了日 : 2021年5月19日
- 本棚登録日 : 2020年12月10日
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