下下戦記 (文春文庫 よ 12-1)

著者 :
  • 文藝春秋 (1991年9月1日発売)
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感想 : 4
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本書を読んでまず感じたのは、私たちが現在、そしてこれからも本当の「幸せ」って何だろうと考えるときに、きっとここに登場してきた水俣病の若衆患者たちが発したむき出しの言葉に耳を傾けることは「幸せ」に一つの回答を与える事になるだとうということだ。そして著者が語ろうとした聖俗入り混じった赤裸々な水俣の姿を考えるにつけ、その意味はさらに倍加する。
水俣地区や病の人々のむき出しの言葉や何が聖と俗なのか?
それはまだ水俣病と明らかにされず、チッソが垂れ流す水銀汚染が明らかにされていなかった時代にさかのぼる。水銀で汚染された魚を食べたことによって手足の震えや硬直を発症した患者たちは、「奇病」、「伝染病」と言われた。車いす生活や家での寝たきり生活を余儀なくされた患者の存在そのものが、地域や人々から消されていった。自分の家で原因不明の「奇病」を発症した患者がいたら、隔離させられたり自死した人々も相次いだという。
そのため水俣病患者たちが、病院や学校、日常生活の一切を送るために地域に出る事さえ人目を避ける道、「患者道」が作られたという。表通りを歩けば「奇病人」が来たとシャッターを閉められたり、お金を手で受け取らずに柄杓で返すなどした行為そのものとして現れたからだ。
先天性の障がいを発症した患者たちが、学校の生徒や先生、地域住民からさげすまされた結果、見えない存在を自ら選ぶという切なさ、孤独と怒り、そこから生まれた世界や言語を私は想像さえもできなかった。むしろ、無いものとして考えていたことだったのかもしれない。
大人患者たちが補償金を求めれば「普通の生活がしたいだけだ」と主張する先天性障がいにおかされた若衆たちの主張は「運動のためにならない」と相手にさえならなかったのだ。これでは、地域住民たちが患者を抹殺されていったという差別性と同じことが患者たちの間でも行われていたということではないだろうか。住民たち患者たちをさげすんだ結果、たった一人ぼっちで考えた言語感覚から絞り出される「水俣病患者弁」。
「若衆宿(水俣病患者たちの若者たちが自立した生活をしていこうと建てられた家)」に登場するのその言葉の中に、人々と違う響きやどことなく辛く、切なく私たちの胸に刺々しく突き刺さる。
その言葉は、はたして最終的にチッソに届いたのだろうか?まだ水俣病の関連の本は読んではいないが気になる。頂点に水俣地域の雇用や生活そのものを奪う権力を持つチッソがあり、地域が患者を抹殺し、患者の若衆たちの主張を大人の患者団体が「政治的」に抹殺する。
同時に、水俣病患者ではなくとも私たちが今生活する地域で障がいをもった人たちと実際に遭遇することもある。では、翻って、私たちが聞こえの良い障がい者たちとの「共生」なる言葉を素通りする前に、どれだけの障がい者たちと私たちとは関わろうとしているのか。当たり前のようだが、当たり前ではない。障がい者たちが「見えない」存在として私たちが過ごすということは、私たちも実は障がい者以上に「見えない」存在として日常を送っていないか良く考えなくてはならないのではないか?排除されていく人を生み出すことは、自分さえもやがては圧殺されて、本当の現実さえも見えないまま終わっていくことにならないか?本書を通じて「患者道」を作らせない、私たちの想像力と優しさが現在の私たちが感じる「幸せ」に通じる何かなのだと思う。その「何か」を恐らくこれからも求めて、本を読み、旅に出るのだろう。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2011年1月7日
読了日 : 2011年1月8日
本棚登録日 : 2010年12月23日

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