実力も運のうち 能力主義は正義か?

制作 : 本田由紀 
  • 早川書房 (2021年4月14日発売)
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「実力も運のうち 能力主義は正義か?」と問いかけるタイトル。当然、本書の主張ではNoだということだ。

まず、能力とは何か。
能の力、すなわち才能の大きさのことだろう。では、才能とは何か。才能は、多様である。誰もが才能を持っている。トレーダーとしての才能がある人がある人もいれば、大道芸の才能がある人も。つまり、「才能の大きさ」を、万人を比較するための物差しとして使用している「能力主義」は欠陥の多いシステムなのだ。


現在の社会において、人の処遇を決めている能力は、学歴である。学歴を能力の証明として使用しているのが現代社会だ。学歴が高いと、能力が高いとみなされ、多くの金銭的報酬を受け取ることができる。このような恩恵を受けられた大人は、自分の子供の教育には労力や金銭を惜しまない。

ハーバードの学生の親の2/3は米国の所得規模で上位20%の家庭の出身だ。日本の東大でも似たような調査があった気がする。裕福な親は子供に良い大学に行かせられるよう潤沢な資金を投じて教育を受けさせることができる。そして、そうした親は総じて学歴も高い。

しかし、子供側からすれば、1点を競う大学入試競争を勝ち抜き、入学資格を手に入れたことは、「自分が努力したから」に他ならない。つまり、「努力して、良い大学の入学資格を手に入れた自分は、能力が高い」という驕りを生んでしまう。子供は、自分の学歴の背景には、勉強を応援してくれる家庭環境や潤沢な資金があったことなどの様々な幸運に気づくことができない。
これによって、子供は学歴を能力を判断する物差しとして持つようになり、学歴が低い人を「能力が低い」と判断するようになる。子供からしたら、「大学入試競争を勝ち抜けなかった人」だからだ。大学入試競争が、親の経済力や家庭環境によって「勝ちやすさ」が変わる不平等なものではなく、子供自身の能力を平等に競うものだと思っているからだ。

このような子供はすでに大人になり、「裕福な親」として子供に潤沢な教育を施している。そして、大企業社長や政治家など社会に対して大きな影響力を持つ人々が、学歴を人を判断する物差しとして使っているので、現在では学歴が人の処遇を決めているのである。

学歴偏重主義は、現在では「容認されている最後の偏見」である。今は、障害者やLGBTへの差別は「あり得ない」時代。しかし、学歴による「区別」は明確に行われている。学歴だけは「誰もが才能の許す限り」得られるものだとされているからだ。

よって、学歴の高い人は能力が高いと考えられ、報酬の高い仕事に「値する」とされる。医者・弁護士・企業役員など。

サンデルはこの「能力主義」に疑問を呈している。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 1哲学
感想投稿日 : 2022年5月8日
読了日 : 2022年4月30日
本棚登録日 : 2022年3月22日

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