新・人間革命 (第10巻) (聖教ワイド文庫 20)

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  • 聖教新聞社出版局 (2005年1月2日発売)
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感想 : 4

著者、池田先生(1928~2023)の作品、ブクログ登録は12冊目。(対談集を含む)

で、本作の内容は、次のとおり。

---引用開始

【言論城】
「勝利の年」と銘打たれた1965(昭和40)年。

元日付から聖教新聞に山本伸一の小説『人間革命』の連載が開始。言論・出版活動に力が注がれるなか、会員の強い要望であった聖教新聞の日刊化への本格的な準備が進む。6月、伸一は聖教新聞社を訪れ、職員と懇談。“聖教を世界最強の言論城に”と激励。編集、印刷、広告、業務の各担当者の奮闘が結実、7月15日付から聖教新聞が日刊化される。

これと相前後して海外でも機関紙誌が発刊される。

【幸風】
8月、伸一はアメリカ・ロサンゼルスへ。出発直前に、ロスで人種差別への抗議から暴動が発生。危険が予想されたが、伸一は「今こそ、仏法という生命の平等の哲学を、アメリカの天地に」との強い決意で予定通り渡米。

ロス郊外での野外文化祭に出席し、全魂で同志を激励。さらに戸田会長が逝去の直前、夢に見たというメキシコへ。世界広布への新しき幸風を起こした平和旅となった。

帰国後、休む間もなく各地の記念撮影会へ。

【新航路】
1965(昭和40)年10月、本門の戒壇となる正本堂建立の供養の受け付けが開始される。

伸一は10月度本部幹部会を終え、ヨーロッパへ。パリでは、ヨーロッパ本部を2本部に分轄し、ヨーロッパ総合本部の設置を発表。アフリカの友への激励も。

西ドイツでは、日本から世界広布への決意に燃えて移住した青年たちの活躍をたたえ、最大の励ましを送った。

イタリア訪問では、民音の招へいによるミラノ・スカラ座の日本公演実現への努力がつづられる。

【桂冠】
伸一はヨーロッパ訪問から帰ると直ちに創価大学の設立審議会を発足。
さらに記念撮影会を中心に伸一は、各地のメンバーの激励に全力を注ぐ。病に悩む友や、母を亡くし、父が未入会の姉妹への指導など、無名の庶民一人ひとりに、勇気の炎をともしていった。

そうしたなか、伸一は組織の中核を担う本部職員に、いかに学会精神を伝え、人材に育て上げるかに心を砕く。

1966(昭和41)年「黎明の年」の1月、伸一はハワイへ。ハワイ会館の開館式に出席。求道に燃えるメンバーを激励し、ハワイ広布の発展へ獅子奮迅の戦いを進めた。

帰国後、2月の本部幹部会で壮年部の新設を発表。3月5日には壮年部結成式。伸一の会長就任以来、6年。新しい時代への本格的な布陣が整った。

---引用終了


気になった箇所は、p141に榎本武揚について書かれた箇所。
榎本武揚というと、戊辰戦争の時に、幕府軍のドンとして、北海道の箱館五稜郭にこもったような印象しか持ち合わせていなかった。
が、ウィキペディアを見ると、しっかりと新政府で仕事をされていましたね。

榎本武揚は、新政府で様々な仕事をされていますが、本作では、メキシコへの植民について書かれています。

以下は、引用です。


---引用開始

メキシコへの移住を推進したのは、明治政府の文部大臣、外務大臣、農商務大臣等を歴任した榎本武揚であった。彼は、一八九七年(明治三十年)、通称「榎本植民団」と呼ばれる三十数人の人びとをメキシコに送っている。これは、笠戸丸による最初のブラジル移住よりも、十一年も早い。

---引用終了

読書状況:未設定 公開設定:公開
カテゴリ: 1965年
感想投稿日 : 2024年2月4日
本棚登録日 : 2024年1月21日

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