新・人間革命 (第11巻) (聖教ワイド文庫 25)

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  • 聖教新聞社出版局 (2006年7月1日発売)
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感想 : 2

著者、池田先生(1928~2023)の作品、ブクログ登録は13冊目。(対談集を含む)

で、本作の内容は、次のとおり。

---引用開始

【暁光】
1966(昭和41)年3月、山本伸一は5年半ぶりに南米ブラジルを訪問。

しかし、誤ったマスコミ情報等から、学会を危険視する空気が強く、文化祭や会員の大会も警察の監視下の開催となった。
伸一は、圧迫に敢然と挑み、周囲の偏見を打ち破る連続闘争を開始。

そして18年後に再訪を果たすまでの、ブラジル同志が社会の信頼を勝ち得ていく奮闘が描かれていく。

【開墾】
伸一は、次の訪問地ペルーへ。首都リマでは、少人数の指導に徹するとともに、南米解放の英雄サン・マルティンの生涯に思いを馳せ、指導者の在り方を思索する。

また、同行幹部は手分けして、アルゼンチンやパラグアイ、ボリビア、ドミニカなど南米各国を訪問。そこにも、日系人移住者を中心として、過酷な環境下で、懸命に広布の開墾作業に汗する、尊き同志たちがいた。

【常勝】
伸一は、「第7の鐘」をめざし、大前進の指揮を執り続ける。

9月18日。伸一を迎えた関西の友は、雨のなか、甲子園球場で関西文化祭を決行。苦難の雨を栄光の雨に変えた祭典は、新しき「常勝関西」の金字塔となった。

このころ伸一は、深刻化したベトナム戦争に心を痛め、仏法者として、11月の青年部総会で、和平提言を行うなど、平和への努力を続けた。

【躍進】
「黎明の年」から昭和42年「躍進の年」へ。
1月、公明党は初挑戦の衆院選を勝利し、衆議院第4党に躍進。人間性尊重の中道政治実現へ、本格的な戦いが始まる。

4月下旬、伸一は新潟を訪れる。そこで9年前の佐渡訪問を回想。その折、彼は、死罪・流罪の大難を覚悟で、民衆救済のために妙法を残された日蓮大聖人の御生涯を偲び、いかなる迫害にも負けず、前進しようと誓ったのであった。

---引用終了


気になった箇所は、p144~p150。
ここに、サン・マルティンのことが書かれています。
サン・マルティンは南米の国々をスペインから独立させる際に活躍した方で、ウィキペディアには、次のように書かれています。

---引用開始

ホセ・フランシスコ・デ・サン・マルティン・イ・マトーラス(José Francisco de San Martín y Matorras, 1778年2月25日 - 1850年8月17日)は、アルゼンチン出身の軍人で政治家。南アメリカ各国をスペインから独立させるために活躍した。

---引用終了

サン・マルティンのことで特にすごいなと思ったのが、スペインの軍人としてそこそこの成功をしているにもかかわらず、スペイン軍を去り、アルゼンチンの独立運動に参戦するところ。
アルゼンチンはスペインからの独立を目指していたので、サン・マルティンにとっては180度の転換になる。
何を考えていたのかは良くわからないが、独立運動に感じ入るところがあったのか。

読書状況:未設定 公開設定:公開
カテゴリ: 1966年
感想投稿日 : 2024年2月12日
本棚登録日 : 2024年2月12日

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