毒親育ち

著者 :
  • 扶桑社 (2013年4月18日発売)
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本棚登録 : 164
感想 : 23
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読了しました。「毒親」「AC」「機能不全家族」を正面から扱ったコミックエッセイは『母がしんどい』『ゆがみちゃん』と来てこれで3冊目です。

何だろうなぁ……毒親本でありながら、「正直さ」が足りないように思えてならない読後感でした。
描くのも語るのも言葉を失うほどの、壮絶な、大変過酷な人生を歩んできたように、読みながら感じました。しかし、そうでありながら、そのことを大変あっさり描かれている。複雑な家庭環境、両親の離婚、妹さん弟さんのこと、借金、両親の死別……。沢山、「ありえへん」ことが、あったろうかと思います。ただ、それ以上に、やはり「傷ついた」「絶望した」「どうにもならなかった」「死ぬほど恨んだ」、そして、何より「悲しかった」と、そうなんじゃないかなぁ、と。こんな風に僭越ながら思いを致した次第です。
こんなことを言うのも、そのような憎悪とか悲しみという感情の描写が、甘いと言いますか、随分あっさり描かれているように思ったからです。実際にどうされた、こうされたという話に、緊迫感がないんですね。具体性がないんですね。もっと言えば、それぞれの出来事に対する扱いが異様に軽過ぎますね。「今振り返ればああだった」「あのときは分からなかったけど実際に起こっていたのはこういうことで」云々と、まるで本から借りてきたような分析臭い見方をして、過去を評価してお話を作ったような、奇妙な感じを覚えました。一つ一つを、何か力ずくで、カチッカチッと割り切って描いているように思います。私なんかは、その裏側にもっと割り切れない問題が山のように積まれていないだろうかと、これまた僭越ながら勘繰ってしまいます。
そして、最後の「両親の「呪い」が解ける」という箇所ですが、この著者は毒親から解放されたことのきっかけを読書体験、そしてスピリチュアルに依っていますね。ここは私自身と著者とで考える立ち位置が違うせいだとも思いますが、p.111のような「感情のデトックス」は、確かに解放感はもたらしてくれますが、所詮は一時的であって根本的な毒親からの解放にはつながらない気がしますね。「寂しさ」も「恨み」も「怒り」も「悲しみ」も「恐怖」も「不安」も「罪悪感」も、そも毒親に関係なく生きていれば誰だって一生付きまとうものだからです。生きている限り、寂しい時、人を恨んだ時、怒りが湧いた時、悲しい時、恐い時、不安な時、罪悪感に駆られた時、必ずあるのですが、その度毎に常に亡霊のように毒親のことが思い出されるとしたら、これは呪いが解けたといえるのか。「浮かんでくるたびに感じて昇華」していたと描かれていますが、それが結局は「自分に都合が悪いからごまかしている」に過ぎなかったということになっていなければいいなぁ、と思いました。確かに負の感情ではありますけれども、その負の感情として見てきたものに対して「何故そうなったのか」「だからこそ、何をしなければならないのか」を向き合う歩みとして、両親を「毒親」として見ることが大切になってくるんじゃなかろうか。決して、自分を肯定して欲しい、「かわいそうな私」として見て欲しい、というような承認欲求を満たすために、両親を「毒親」認定しているのであれば、それは間違い、明らかなごまかしと言わなければならないと、そう思います。
私も承認欲求が強い人間ですから、なかなか正直に自分のことを描けずに間違い、ごまかしを繰り返す一方で、権威のある書物にはついつい引っ張られて、八百万の神頼み、あの世がどうだ、現世ではこうだという話にまでついつい感じ入ってしまう人間なのでよく分かるんです。分かるからこそ、その点が正直感心しなかった。「あの家庭は事実どうだったのか」「何が本当の意味で両親を毒親にさせていたのか」「事実自分はどう悪かったのか」の考察が不徹底だとまで感じました。個人的にはそこが肝心だと思うんですけれどね。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 漫画
感想投稿日 : 2016年7月27日
読了日 : 2016年7月27日
本棚登録日 : 2016年7月27日

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