朝鮮紀行〜英国婦人の見た李朝末期 (講談社学術文庫)

  • 講談社 (1998年8月10日発売)
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3

(01)
当然のことであるが,朝鮮半島にもさまざまな地域差があって,普通,わたしたちは,ソウルの現代をもって半島の画一を想像する.本書は,海を挟んで向こう側の大陸の多様な事情(*02),とりわけ日清日露戦争,第一次大戦,日中戦争,太平洋戦争などの日本が行った近代戦以前や,その端緒にあった朝鮮の特殊な事情を知る上で,ひとつの資料となりうるであろう.

(02)
たとえば,松.アカマツの風景は日本列島でも見慣れているが,当時の朝鮮半島でも著者は,松とはげ山の印象をところどころで捉えている.そして虎.日本列島には生息しない大型の哺乳類であるが,この獣による人的被害が,半島の人々に恐怖を引き起こし,彼ら彼女ら(*03)の行動原理に影響を与えていることも,いたるところに書きつけられている.
ほかにも,犬,豚,牛など身近な動物や,アワやコメなどの主要な穀類,人参,麻,紙,陶磁器などの特産物(*04)などの記述では,興味をもって日本と比較することができる.

(03)
女性,という問題に対しても,著者自身が女性であるからには,朝鮮の女性へ様々に働いている抑圧や抑制を告発しないわけにはいかない.近代人として,後進国の女性の人権擁護に手を差し伸べようという姿勢を著者に見れなくもないし,その背景や原因に迫ろうという意志も感じられるが,別の文脈では,(男性ももちろんそこに多く混じるが)野次馬としての女性の群れも描かれ,牢獄のような女性の生活との関連で考えたい問題も提起されている.

(04)
産物が市場にどのように現れるか,またどのように輸出されているかについても,観察や調査がなされている.それは英国の利益の可能性のためのリサーチであるともとれるが,著者は,朝鮮半島での商業や交易の停滞に驚いている.官僚制度と農民(*05)という大きく二極化された体制の中でささやかに営まれている商業という印象を本書からは受ける.その一方で,官僚をはじめとする上流階級では,求景(観光)が楽しまれ,ギルドを組織する行商人たちの動きもみられる.陸水の交通路もいくらか整備(*06)されており,仏教寺院には旅人や弱者が訪れ収容されている様子も見受けられる.ただし,通貨の流通が滞っていることを著者はたびたび嘆いており,盗賊や官僚がその阻害要因になっていることも指摘している.
つまり,交通や交流はあるものの,常設された商売の拠点が発展せずに,ソウルやピョンヤンなど限られた地域での都市化を著者は報告しており,この都市の様相は階級的な非対称性の反映とみてもよいだろう.

(05)
農民たちは,何を楽しみ,何に振り回され,何に閉ざされているのか.こうした様子もつぶさに観察,報告されている.農民たちの関心の大きな割合を占めているのが,迷信であり,シャーマンやアニミズムの観点からも,本書を楽しむための重要な要素となっている.
石がある,木がある,山がある,そしてそこには農民たちにずっと信じ続けられてきた何かがある.弥勒(ミルク),各種の鬼神,石像,柱,ぼろ布やひも,などなど.それらへのフェティシズムを構成しているムダンや盲目のパンスといった呪術師たちの生態には,農民たちが,その世界を何によって生きるかの反映もある.
また,仏教やキリスト教などのいわゆる宗教との対比で著者がこれらの迷信を観察している,その観察眼の偏りを考えてみるのも面白いだろう.

(06)
清とロシア,そして日本に翻弄される朝鮮王朝の落陽の姿が著者の眼にどのように映ったか.著者の足は,好奇心を拠り所として,隣国との国境を超え,奉天やウラジオストクまで及び,一行の困難な旅(なかでも従者たちの困難たるや!)は,半島周辺でムラのある治安や政治的な統制を,安定と不安定の狭間にあるそれらの地帯を,スリリングにくぐり抜けている.
軍と賊がそれらの地帯にどのように介在しているかに注意して本書を読むのもよいだろう.

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: clasic
感想投稿日 : 2018年7月4日
読了日 : 2018年7月4日
本棚登録日 : 2016年1月31日

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